自動車研究家“山本シンヤ”が聞いた「MORIZOがニュル24時間へ挑む理由」
第7回:成瀬氏のテールを追いかけ続けて学んでいったモリゾウ(豊田章男氏)のドライビングスキル
2025年10月3日 00:00
「あなたみたいな運転のことも分からない人に、クルマのことをああだ、こうだと言われたくない。最低でもクルマの運転は身につけてください」
「我々評価ドライバーをはじめとして、現場は命をかけてクルマを作っていることを知ってほしい」
「月に一度でもいい、もしその気があるなら、僕が運転を教えるよ」
成瀬弘氏からの言葉を受け止めた豊田章男氏は、大好きだったゴルフを封印し運転訓練をスタートさせた。成瀬氏は、筆者のインタビューで、あの“やり取り”の話を聞いてみたことがあるが、このように語ってくれていた。
「章男さんのモノづくりのこだわりは、英二さん(豊田英二:トヨタ自動車工業5代目社長)、章一郎さん(豊田章一郎:トヨタ自動車販売4代目社長、トヨタ自動車初代社長)と全く同じだと思いました」。
「それは『儲かっているからいいでしょ』ではなく、『こんなクルマじゃダメでしょ』という危機感ですね。だから、章男さんは『モノづくり屋として自分も乗って解るようになりたい』という強い想いがあったと思います。だから僕に反論1つしなかったのかな?」。
豊田章男氏の運転訓練は、コースを専有して特別なトレーニングで……と言いたいところだが、月2回程度開催される「特別Aチーム(特A)」の既存の訓練日に合わせて行なわれたという。ちなみに「特A」とは現在の「凄腕技能養成部」の前身にあたるチームで、成瀬氏が「評価のプロをつくる」と車両試験の中で走れそうなメンバーを集めて立ち上げた集団だ。
評価ドライバーは「できる(=正しい走りをして正しい判断ができること)、わかる(=クルマからの情報を聞き取ること)、言える(=その情報を言葉にして伝えられること)」が求められるため、クルマの運転が上手い、速いだけではダメで、整備や製作、計画書の作成、運営など、マルチなスキルが求められる。成瀬氏は自分のような「クルマ屋」を社内で育てたい思いがあったのだろう。当然、章男氏もしかりだ。
そんなチームの中での運転訓練、一体どのようなメニューだったのだろうか? 章男氏は当時のことをこのように振り返る。
「運転訓練はヤマハの袋井テストコースが多かったですね。訓練ですからまずは『横に乗ってコースを走りながらお手本を見せてくれるのかな?』と思いましたが、最初はフルブレーキの練習、それも1日それしかやらせてもらえなかったですね(驚)。少しできるようになると、次はパイロンを立てて危機回避の練習と、なかなかコースを走らせてもらえませんでしたね」。
「その後、やっとコースを走れるようになっても、成瀬さんは横に乗って教えてくれることは1度もありませんでした。私は成瀬さんのクルマを運転訓練車の80スープラで常に追いかけるのみで、唯一言われたのは、『ブレーキランプが点灯したところではブレーキを踏め』と『自分のクルマの距離が開きすぎたら、アクセルが踏めていない』の2つのみ。私はただただ、成瀬さんが運転するスープラのテールライトを追って必死についていくだけの運転訓練でした。コース上で一緒に走るメンバーは、私には近づくことはなく、『ここでも孤独なんだな』と思ったのも事実です」。
この特訓方法に関しても成瀬氏に聞いてみたが、「余計な雑音を入れず、まずは『基本の徹底』のためでした」と教えてくれた。その証拠に章男氏の運転スキルが上がると、他のメンバーに「意地悪してやれ」と、走行中に絡むように指示をしている。その1人として走行していたのが凄腕技能養成部・主査でGRスープラの評価も担当した矢吹久氏である。
「意地悪と言うと聞こえが悪いですが(笑)、要するに単独走行ではなくレースのように『まわりを見ながら走る』ことを学ぶための訓練ですね。章男さんは『これでやっと仲間に入れてもらえた』と嬉しそうでしたよ」。
これまで運転が好きなのに、1人で黙々と走ったことしかなかった章男氏にとって、皆と一緒に走ることは、何とも言えない“喜び”だったのではないか……と筆者は考える。
熱心に練習にくる章男氏に対して、成瀬氏はどのように思っていたのだろうか?
「実は最初は僕も『お遊びかな?』と思っていましたが、回を重ねるうちにウチの生徒よりも熱意があることを感じました。なんせ日曜日にも練習にくるくらいですから(笑)。運転は……上手いですよ。今では中速コーナー以下であれば、僕とはほとんど変わらない」と運転スキルの上達の速さに驚いた。
そんな成瀬氏と章男氏の運転訓練を見ていたのが、凄腕技能養成部の平田泰男氏である。現在はニュルの活動の“伝承者”と呼ばれているが、当時は30代の若手。成瀬氏の後継者育成メンバーの1人だった。
「訓練中は他のメンバーと同じで、特別扱いは一切ありませんでした。昼食も我々と同じ500円程度の惣菜弁当を一緒に食べていました。成瀬さんの教え方は基本的にアクセルとブレーキのみで『後は自分で見つけなさい』という独特なスタイル、要するに『体で覚えなさい』という考えです。これは章男さんの訓練だから……ではなく、我々にも同様の指導スタイルでした。僕らは横目で見ている感じでしたが、訓練が進むにつれて運転技術が着実にアップしているのは、走りを見れば明らかでしたね」。
そんな章男氏は訓練が進むにつれて、ドイツ・ニュルブルクリンクも走行。自動車メーカー専有枠(=インダストリー)でLマーク(Lesson=訓練中)を付けて成瀬氏の後ろを走行したそうだ。ニュルでの訓練の相棒も日本と同じく80スープラだった。この訓練のとき、章男氏は今でも語るあの“くやしさ”を体感していた。
「他のメーカーは将来出す予定であろう開発中のクルマを走らせていました。しかし、トヨタにはニュルで鍛えられる現役のスポーツカーはないどころか、ここで通用するクルマは生産が終わった中古のスープラのみ……。コース上で他のメーカーの開発車両に追い抜かれるときに、私はそのクルマからこのような声が聞こえてきました。『トヨタさんには、こんなクルマは造れないでしょ?』と。この時の悔しさは今でも鮮明に覚えています」
そんな運転訓練を5年くらい続けたある日、章男氏は成瀬氏から「ニュル24時間に出ませんか」と誘われた。