自動車研究家“山本シンヤ”が聞いた「MORIZOがニュル24時間へ挑む理由」

第7回:成瀬氏のテールを追いかけ続けて学んでいったモリゾウ(豊田章男氏)のドライビングスキル

モリゾウ(豊田章男氏)が実際にニュルで運転特訓に使用していた80スープラ

「あなたみたいな運転のことも分からない人に、クルマのことをああだ、こうだと言われたくない。最低でもクルマの運転は身につけてください」

「我々評価ドライバーをはじめとして、現場は命をかけてクルマを作っていることを知ってほしい」

「月に一度でもいい、もしその気があるなら、僕が運転を教えるよ」

 成瀬弘氏からの言葉を受け止めた豊田章男氏は、大好きだったゴルフを封印し運転訓練をスタートさせた。成瀬氏は、筆者のインタビューで、あの“やり取り”の話を聞いてみたことがあるが、このように語ってくれていた。

「章男さんのモノづくりのこだわりは、英二さん(豊田英二:トヨタ自動車工業5代目社長)、章一郎さん(豊田章一郎:トヨタ自動車販売4代目社長、トヨタ自動車初代社長)と全く同じだと思いました」。

「それは『儲かっているからいいでしょ』ではなく、『こんなクルマじゃダメでしょ』という危機感ですね。だから、章男さんは『モノづくり屋として自分も乗って解るようになりたい』という強い想いがあったと思います。だから僕に反論1つしなかったのかな?」。

豊田章男氏は、「スープラなしではマスタードライバーにはなれませんでした」と常々語っている(写真は2019年のデトロイトショー)

 豊田章男氏の運転訓練は、コースを専有して特別なトレーニングで……と言いたいところだが、月2回程度開催される「特別Aチーム(特A)」の既存の訓練日に合わせて行なわれたという。ちなみに「特A」とは現在の「凄腕技能養成部」の前身にあたるチームで、成瀬氏が「評価のプロをつくる」と車両試験の中で走れそうなメンバーを集めて立ち上げた集団だ。

 評価ドライバーは「できる(=正しい走りをして正しい判断ができること)、わかる(=クルマからの情報を聞き取ること)、言える(=その情報を言葉にして伝えられること)」が求められるため、クルマの運転が上手い、速いだけではダメで、整備や製作、計画書の作成、運営など、マルチなスキルが求められる。成瀬氏は自分のような「クルマ屋」を社内で育てたい思いがあったのだろう。当然、章男氏もしかりだ。

 そんなチームの中での運転訓練、一体どのようなメニューだったのだろうか? 章男氏は当時のことをこのように振り返る。

「運転訓練はヤマハの袋井テストコースが多かったですね。訓練ですからまずは『横に乗ってコースを走りながらお手本を見せてくれるのかな?』と思いましたが、最初はフルブレーキの練習、それも1日それしかやらせてもらえなかったですね(驚)。少しできるようになると、次はパイロンを立てて危機回避の練習と、なかなかコースを走らせてもらえませんでしたね」。

「その後、やっとコースを走れるようになっても、成瀬さんは横に乗って教えてくれることは1度もありませんでした。私は成瀬さんのクルマを運転訓練車の80スープラで常に追いかけるのみで、唯一言われたのは、『ブレーキランプが点灯したところではブレーキを踏め』と『自分のクルマの距離が開きすぎたら、アクセルが踏めていない』の2つのみ。私はただただ、成瀬さんが運転するスープラのテールライトを追って必死についていくだけの運転訓練でした。コース上で一緒に走るメンバーは、私には近づくことはなく、『ここでも孤独なんだな』と思ったのも事実です」。

凄腕技能養成部・主査でGRスープラの評価も担当した矢吹久氏(後)

 この特訓方法に関しても成瀬氏に聞いてみたが、「余計な雑音を入れず、まずは『基本の徹底』のためでした」と教えてくれた。その証拠に章男氏の運転スキルが上がると、他のメンバーに「意地悪してやれ」と、走行中に絡むように指示をしている。その1人として走行していたのが凄腕技能養成部・主査でGRスープラの評価も担当した矢吹久氏である。

「意地悪と言うと聞こえが悪いですが(笑)、要するに単独走行ではなくレースのように『まわりを見ながら走る』ことを学ぶための訓練ですね。章男さんは『これでやっと仲間に入れてもらえた』と嬉しそうでしたよ」。

 これまで運転が好きなのに、1人で黙々と走ったことしかなかった章男氏にとって、皆と一緒に走ることは、何とも言えない“喜び”だったのではないか……と筆者は考える。

 熱心に練習にくる章男氏に対して、成瀬氏はどのように思っていたのだろうか?

「実は最初は僕も『お遊びかな?』と思っていましたが、回を重ねるうちにウチの生徒よりも熱意があることを感じました。なんせ日曜日にも練習にくるくらいですから(笑)。運転は……上手いですよ。今では中速コーナー以下であれば、僕とはほとんど変わらない」と運転スキルの上達の速さに驚いた。

 そんな成瀬氏と章男氏の運転訓練を見ていたのが、凄腕技能養成部の平田泰男氏である。現在はニュルの活動の“伝承者”と呼ばれているが、当時は30代の若手。成瀬氏の後継者育成メンバーの1人だった。

凄腕技能養成部のメンバーの1人である平田泰男氏

「訓練中は他のメンバーと同じで、特別扱いは一切ありませんでした。昼食も我々と同じ500円程度の惣菜弁当を一緒に食べていました。成瀬さんの教え方は基本的にアクセルとブレーキのみで『後は自分で見つけなさい』という独特なスタイル、要するに『体で覚えなさい』という考えです。これは章男さんの訓練だから……ではなく、我々にも同様の指導スタイルでした。僕らは横目で見ている感じでしたが、訓練が進むにつれて運転技術が着実にアップしているのは、走りを見れば明らかでしたね」。

 そんな章男氏は訓練が進むにつれて、ドイツ・ニュルブルクリンクも走行。自動車メーカー専有枠(=インダストリー)でLマーク(Lesson=訓練中)を付けて成瀬氏の後ろを走行したそうだ。ニュルでの訓練の相棒も日本と同じく80スープラだった。この訓練のとき、章男氏は今でも語るあの“くやしさ”を体感していた。

「他のメーカーは将来出す予定であろう開発中のクルマを走らせていました。しかし、トヨタにはニュルで鍛えられる現役のスポーツカーはないどころか、ここで通用するクルマは生産が終わった中古のスープラのみ……。コース上で他のメーカーの開発車両に追い抜かれるときに、私はそのクルマからこのような声が聞こえてきました。『トヨタさんには、こんなクルマは造れないでしょ?』と。この時の悔しさは今でも鮮明に覚えています」

ニュルをまともに走れるのが中古の80スープラしかないトヨタの現状を、豊田章男氏は大いに悔やんだという

 そんな運転訓練を5年くらい続けたある日、章男氏は成瀬氏から「ニュル24時間に出ませんか」と誘われた。

山本シンヤ

東京工科自動車大学校・自動車研究科卒業。自動車メーカーの商品企画、チューニングパーツメーカーの開発を経て、いくつかの自動車雑誌を手掛けた後、2013年にフリーランスへと転身。元エンジニア、元編集者の経験を活かし、造り手と使い手の両方の気持ちを分かりやすく上手に伝えることをモットーにしつつ、クルマの評論だけでなく経済からモータースポーツまで語れる「自動車研究家」として活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員、ワールド・カー・アワード選考委員、日本自動車ジャーナリスト協会会員。YouTubeチャンネル「自動車研究家 山本シンヤの現地現物」も運営中。