
政府がマスクを配布してくれるのだそうだ。
このニュースをどう受け止めるべきなのか、いまだに自分の中で整理がついていない。
なので、思いついた順序で、思いつくまま感想を書き並べることにする。こういう話題にはこういう断片的な書き方で対処するほかに方法がない。「こういう話題」というのはつまり、度外れてバカげた話ということだ。こんなバカな話をいじくりまわすのに、緻密な書き方や論理的な記述法がマッチするとは思えない。私はだらだらと書く。読者のみなさまも、できればだらだらと読んでほしい。
全国5000万世帯に一世帯あたり2枚の布マスクを配布するという、このおどろくべき計画を聞いて、まず私が思い浮かべたのは、東京五輪の暑さ対策として発案されたいくつかのプランとの類似だった。
これらについて、私は、昨年の9月に書いた当欄の記事の中で
《多くの勤勉な日本人は、無駄な努力であっても何もしないよりはマシだと考えている。また、われわれはそう考えるべく育てられてきている。
今回のあまりにも無駄な暑さ対策の発案と実験とその報道の連鎖は、そこのところからしか説明できない。
おそらく組織委の中の人たちは、
「ただ手をこまねいているよりは、たとえ役に立たなくても何かにチャレンジすべきだし、そうやって自分たちの身を捧げるのが主催者としての覚悟の見せどころだ」
てな調子でものを考えている。なんと愚かな態度だろうか。》
と断じた上で、さらに
《私は、無駄な努力は人間を浅薄にすると思っている。無駄な努力は有害だとも考えている。 ─略─
われわれの国を悲惨な敗戦に導いた愚かな軍隊を主導した人たちは、「松根油」という愚かな油を精製するべく必死の知恵を絞ってみたり、国民の鍋釜を供出させることで戦闘機を生産しようとしたり、ほかならぬ兵隊の生命身体そのものを武器弾薬とする寓話的なまでに愚劣な作戦行動に「神風特攻」という滑稽なタイトルを付けたりなどしつつ、最終的には負けるべき戦いを負けるべくして負けたわけなのだが、今回もまたわたしたちの愚かな組織委員会は、主要な人的資源をボランティアに頼りながら、ぶっかき氷と人工降雪機と朝顔による暑熱対策で8月の猛暑を乗り切り、3000万首都圏民による生活排水と糞便が随時流れ込む港湾内でのオープンエアスイミング競技の開催をなんとか無事に取り回し切るつもりでいる。
われわれは、またしても愚かな失敗を繰り返そうとしている。
「無駄な努力であっても、何もしないよりはマシだ」
というわれら勤勉な日本人の多くが囚われているこの妄念を捨てない限り、来たる2020東京五輪は無駄な努力の品評会に終わるはずだ。》
と、結論づけている。
いまもこの考えに変わりはない。
今回のマスク事案も、大筋の話型としては、五輪の暑さ対策とまったく同じだ。
「何もしないよりは、とにかくいまできることを精一杯やろうじゃないか」
式の精神論丸出しの、コスト&ベネフィットを一切考慮していない、徹底的に愚かな作戦だ。
ついでに思い出したのは、千人針のことだ。
これについても、2015年7月更新分の当欄で原稿を書いたことがある。当該の記事は、残念なことに、すでにリンク切れになっている。以下、概要を紹介しておく。
記事そのものは、「エコキャップ推進協会」(世界の子供にワクチンを届ける目的でペットボトルのキャップを集めている団体)が、その売却益を別の使徒にあてていた問題を扱った話だったのだが、話題の中心は、いつしかエコキャップ運動の異様なまでの効率の悪さへの考察に移り、最終的には「効率の悪さにこそ真心が宿る」
という、わたくしども日本人の中にある信念の不可思議さにたどり着くことになった。
じっさい、ベルマーク運動や、缶飲料のプルタブ収集運動、さらには千羽鶴や千人針などなど、私たちは
「大勢の人間が、個々の小さな労力を結集して集団全体の気持ちを届けようとする運動」
を偏愛している。
われわれの中には、千羽鶴というブツがもたらす効果そのものよりも、大勢の人間が千羽鶴に込めた「思い」や「真心」に寄り添うことこそが、赤い血の流れた人間としての正しい判断だとする価値観が、牢固として根を張っている。であるからして、よく訓練された日本人は、兵隊さんの防寒や防衛のためには役に立っていなくても、はるか銃後の女学生が、ひと針ひと針心を込めて縫い上げた千人針には、ある種の霊力が宿るはずだという思想を抱くに至る。
今回のマスクも、その「千人針効果」抜きで評価したら、およそ効果の薄い物品に化けてしまう。
そもそも、マスクの生産体制について、経産省は2月26日の段階で、「週に1億枚」を約束する旨の告知をしている。
にもかかわらず、それから1カ月以上、マスクは、一般家庭には配布されず、店頭にもろくに並ばなかった。
こんな状況下で、WHOによって対ウイルスの効果が疑問視されている布のマスクを、一世帯あたり2枚配って、それで何かを成し遂げた気持ちになってもらったのでは、先が思いやられる。
もちろん、何もしないよりはマスク2枚でも、雑巾5枚でも配れば配っただけの意味はあるのだろう。
しかし、一世帯あたり2枚のマスクを郵送で5000万通配布するための手間と費用と時間を、別の何かに振り向けたら、より実のある施策が展開できるのではなかろうか。費用対効果として、もっと国民のために役立つお金の使い方が、いくらでもあるはずだ。
なのに、政府はなんとしてもマスクを配るという。
狙いは何だろう?
マスクそれ自体がもたらす防疫効果が主目的ではないのだとすると、マスクを媒介とした「お・も・て・な・し」感だろうか。
「わたくしたちは国民のために働いていますよ」
というアピールだろうか。
「そうだとも。お国はこんなにまで手間をかけて、すべての世帯にマスクを配布してくれている。その心意気を見れば、自分たちが見捨てられていないことがわかるじゃないか」
「だよな。マスクは、言ってみればオレら国民の疑心をカバーするために配布されている。そう考えようじゃないか」
とまあ、あえて好意的に受け止めればそう考えられないこともない。
でも、この受け止め方には、落とし穴がある。
というのも、政府首脳がわれら国民のために手間と時間とお金をかけて配ってくれたブツが、よりにもよって布マスク2枚だったという事実は、ある程度もののわかった国民にとっては、むしろ落胆をもたらす最後通牒だからだ。
「つまり、現金を配るつもりはないということだよね。これ」
「配れるものがマスクしかないってことは、つまり、事実上『打つ手無し』と言ってるのと同じだわな」
「7対ゼロでリードされている8回裏に、二死走者無しで三番バッターにバントのサインを出す監督がいるのだとしたら、そいつは要するに試合を投げてるわけだよな?」
たとえばの話、なにかの事情で運転資金が不足して、今月を乗り切らないと会社が倒産する窮地に立たされている男がいたとして、その彼が、恥をしのんで古い知人に借金を申し込んだのだとしよう。
もちろん、貸さないという返事は覚悟の上だ。それもこれも自分の人徳だと思っている。
とはいえ、土下座してたのみこんだその尊敬する知人が
「少ないけど、これを受け取っておいてくれ」
と言ってテーブルの上に並べたのが、2個のアーモンドチョコであったのだとすると、彼はどんな気持ちを味わうことだろう。
はじめから
「申し訳ないが、カネは貸せない」
と言ってもらったほうがどれほど楽だったか知れない。
「……あ、こ、このチョコは……?」
「うん。ひもじいだろ? 食べて元気を出してくれよ。オレからの気持ちだ」
と、豪邸の車庫にベンツとベントレーを並べて置いている先輩にそう言われたら、さぞや人間に絶望するのではなかろうか。
私のところに送られてくる2枚のマスクは、言ってみれば
「これで何か旨いものでも食ってくれ」
と言いながら差し出された50円玉2枚くらいなブツに相当する。
「バカにしてるのか?」
と思わないでいるのは、正直な話、とてもむずかしい。
もうひとつ言えば、私個人は、この話(日本中の全世帯に2枚ずつマスクを郵送するという驚天動地のスキーム)が、机上のプランに終わることなく、公式の政府の施策として実現されるに至ったその経緯に強烈な危機感を抱いている。
なんとなれば、この日本政治史上かつてないスチャラカなプランがそのまま実現にこぎつけてしまうための可能性は、官邸のガバナンスが著しく風通しの悪い独裁に陥っているのか、でなければ総理を囲む側近が、一から十までバカ揃いであるからなのかのいずれかの場合しか考えられないからだ。
百歩譲って申し上げるなら、非常時にバカなプランが出てくることそのものは、そんなにめずらしい話ではない。動揺すると人は奇妙なことを思いつくものだし、どんなに賢い人間であってもミスを犯す時には、おどろくほどバカなミスをやらかすものだ。その点はわかっている。じっさい
「コロナ騒ぎで気落ちしている国民の憂鬱を吹き飛ばす意味で、ひとつ総理が自ら『アイーン』を決めてみせるというのはいかがでしょうか」
という提案があったのだとしても、私は驚かない。
ただ、こういうプランは、ほかの賢いメンバーによって即座に却下されるはずだ。
「ヤナセくん。何を言うんだ。不謹慎にもほどがあるぞ」
「そうだとも。アイーンは一日にしてならずだ」
「アイーンで救える命があるのだとして、誰もがそれをできるわけじゃないのだぞ」
というわけで、首相のアイーンは回避される。これが正常なガバナンスというものだ。
ところが、バカマスク事案はまんまと稟議(←あったのだろうか)を通過して、実現にこぎつけてしまった。
この場合、さきほども申し上げた通り、ふたつの可能性が考えられる。
ひとつは、本来ならアイディアをチェックするはずのメンバーが誰ひとりとしてその意向に異を唱えることのできない極めてやんごとなき筋からこの提案が持ち出されていた場合だ。
具体的には総理あるいは副総理のアタマの中からこの作戦立案が為されていた可能性を指している。
「どうでしょう。ひとつこれはマスクをまさに配布する中においてわたくしたちの実行力をこれまでにない規模でアピールしていこうではありませんか」
か、でなければ
「あー、アレだよ、ホラ、知らねえか? 給食のマスクな。あのおっかさんの匂いのする懐かしいガーゼのあいつだよ。あれを一家庭に2枚がとこあてがっておけば、シモジモのみなさんも、昭和の思い出にひたりつつ納得するんじゃねえかとオレは思うわけさ」
という感じの会議風景がとりあえず思い浮かぶわけなのだが、もちろんこの数行は私の憶測に過ぎないので、いつでも取り消す用意はできている。読んだ人は忘れてもかまわない。
私が言っているのは、官邸が「ものを言えない場所」になっている可能性についてだ。
総理・副総理に誰も口答えができなくなっているのだとしたら、その政権は、というよりも、その国はすでに戦時体制の中にあると申し上げなければならない。
もうひとつ考慮しなければならないのは、総理大臣が、その側近や閣僚にきらわれている可能性だ。
ふつうに出世したアタマの良い官僚や、マトモに選挙を通って来た機を見るに敏な政治家であれば、今回のマスク事案が世紀の愚策であることは、一瞬で見抜けるはずだ。
「あらら、よりにもよって布マスクを配布とか、どこの昭和案件だ?」
「それも郵送で全世帯に配布とか。なんの罰ゲームだよ」
「これ、ヘタすると、倒閣マターになるぞ」
「倒閣で済めばむしろ御の字で、引退後も給食マスク宰相てなことで子供に石投げられる末路が待ってるんじゃないかなあ」
と、そう思うのが正常な感覚というもので、じっさいに彼らがそう思ったのであれば、ここは一番
「総理、お言葉ですが、私は絶対に賛成できません」
「おそれながら、このプランは穴だらけです。ウイルスが素通りなだけならまだしも、雑菌の培地にしかならないのではないでしょうか」
「もし本当にマスクを郵送するおつもりであるのなら、その前にまず私の職を解いてください」
「総理がお疲れなのは承知しています。この際、新型コロナ偽装でもなんでも使って、ぜひ休養をとってください。あとはわたくしたちがなんとかします。首相。落ち着いてください」
てなことで、面を冒してでもお上に直言するのが、心ある官僚なり政治家の覚悟であるはずだ。
彼らが、陰腹を切ってでも総理に諫言することをせずに、結局、あえて見てみぬふりをして、このプランを通してしまったのは、
「ええいちくしょう。もうどうにでもなりやがれ」
「あーあ、このヒトもどうやらおしまいだな」
と考えていたからというふうに考えざるを得ない。
ということはつまり、彼らは首相を支える気持ちを持っていないのである。
なんとかわいそうな首相ではないか。
私たちのこのまほろばの国が、いずれの可能性を経て、現今の事態に立ち至っているのか、私には詳しいところはわからない。
ひとつだけわかっているのは、政府の切り札が2枚のマスクであったのだとすると、もはや何を言っても無駄だということだ。
あるいは、マスクの真意は
「おまえらは黙っていろ」
ということだったのかもしれない。
だとすると、この原稿は、載らない可能性もあるわけだ。
ビル・ポスターズは殺され、オダジマは黙らされる。ありそうな結末だ。
もっとも、読者がいま当稿を読んでいるようなら、まだ望みはある。
ぜひ、声をあげよう。
マスクは、プロテストの声をあげる口元を隠すのに役立つかもしれない。
(文・イラスト/小田嶋 隆)
延々と続く無責任体制の空気はいつから始まった?
現状肯定の圧力に抗して5年間
「これはおかしい」と、声を上げ続けたコラムの集大成
「ア・ピース・オブ・警句」が書籍化です!
同じタイプの出来事が酔っぱらいのデジャブみたいに反復してきたこの5年の間に、自分が、五輪と政権に関しての細かいあれこれを、それこそ空気のようにほとんどすべて忘れている。
私たちはあまりにもよく似た事件の繰り返しに慣らされて、感覚を鈍磨させられてきた。
それが日本の私たちの、この5年間だった。
まとめて読んでみて、そのことがはじめてわかる。
別の言い方をすれば、私たちは、自分たちがいかに狂っていたのかを、その狂気の勤勉な記録者であったこの5年間のオダジマに教えてもらうという、得難い経験を本書から得ることになるわけだ。
ぜひ、読んで、ご自身の記憶の消えっぷりを確認してみてほしい。(まえがきより)
人気連載「ア・ピース・オブ・警句」の5年間の集大成、3月16日、満を持して刊行。
3月20日にはミシマ社さんから『小田嶋隆のコラムの切り口』も刊行されます。
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この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。