(前回→「『イヤ、行かない』母即答、施設通所初日の戦い」)

 母が公的介護保険制度を利用し始めるところまで書いたので、今回は「家族に認知症の兆候が見えたらどのように対応するべきなのか」をまとめておこう。

 もちろん、認知症にならずに人生を全うできれば、それが一番良いに決まっている。世には「認知症にならない方法」に類する言説もあふれている。

 が、実際に母を介護した上で判断すると、「これさえやっておけば認知症にならない」という方法はない。「これを飲んでおけば大丈夫」「これをやっておけば大丈夫」みたいな“魔法の杖”は存在しない。

 ただし「こういう生活をすれば、認知症になる確率は減ることが統計的に分かっている」ことはある。ごく簡単に要約すると「快食・快眠・快便」だ。

 偏らない食事に十分な質の良い睡眠、そして規則正しい生活習慣である。

 それらは地味でずっと継続することが必要で、しかも実行したからといって認知症に絶対ならないというわけではない。発症する確率が下がる、ということだ。

 アルツハイマー病を発症する前の母の生活を思い出すと、危険因子は「比較的宵っ張りで睡眠時間が短かった」ことぐらいだ。運動も食事もきちんとしていたし、合唱や語学、水泳などによる周囲との交流もあって、周囲から孤立した孤独老人ではなかった。

 つまり「だれでも認知症を発症しうる」という前提に基づいて、事前にできる準備をしておく必要があるのだ。

発症前も、発症後も、まずは地域包括支援センター

 老親を抱える身で、まずできることは何か。

 まず考えられることは「認知症では」と疑う事態になる前から、地域包括支援センターと連絡をとって「こういう老人がいる。今は元気だが年齢的にいつなにがあってもおかしくないから、なにかあった場合にはどうすればいいか」と相談することだろう。

 地域包括支援センターには、公的介護保険制度に関連する様々な情報が集まっている。事前に情報を収集しておいて損になることはない。実際に「その日」が来たときに、スムーズに公的介護支援を受けられるはずだ。

 これは、本人が本格的な要介護状態になる前から、家に公的な介護が入ることに慣れさせておくことにつながる。このことは非常に重要だ。

 大抵の老人は初めのうちは、公的介護に「御世話になる」と感じるせいか、拒否感を持つという。母と私の場合も、早期に公的介護保険を導入することに失敗した結果は、かなり後まで影響した。

 「公的介護保険を利用する」ということは、ケアマネージャーやヘルパー、ベッドなどのレンタル業者など多数の人が家に入ってきて、生活をサポートするということである。それを介護される側の母は、「突然知らない人がいっぱい家にやってきて、自分の生活に干渉する」と受け取った。

本連載、ついに単行本化。
タイトルは『母さん、ごめん』です。

 この連載「介護生活敗戦記」が『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』として単行本になりました。

 老いていく親を気遣いつつ、日々の生活に取り紛れてしまい、それでもどこかで心配している方は、いわゆる介護のハウツー本を読む気にはなりにくいし、読んでもどこかリアリティがなくて、なかなか頭に入らないと思います。

 ノンフィクションの手法でペーソスを交えて書かれたこの本は、ビジネスパーソンが「いざ介護」となったときにどう体制を構築するかを学ぶための、読みやすさと実用性を併せ持っています。

 そして、まとめて最後まで読むと、この本が連載から大きく改題された理由もお分かりいただけるのではないでしょうか。単なる介護のハウツーを語った本ではない、という実感があったからこそ、ややセンチな題となりました。

 どうぞお手にとって改めてご覧下さい。夕暮れの鉄橋を渡る電車が目印です。よろしくお願い申し上げます。(担当編集Y)

「あなた誰?」
「なんでここに来たの?」
「なぜ私にそんな質問をするの?」

 誰かが来るたびに、母は警戒し、この質問を繰り返した。何度説明しても忘れてしまうので、次にやってきても同じ対応になる。

 さすがプロだな、と思ったのは、家にやってきた介護関係者が1人の例外もなく、柔らかい態度で自己紹介と自分の仕事の説明を繰り返してくれたことだ。ほとほと感心して「さすがですね」と言うと、「こういうことは、家族の方よりも、私達のような部外者のほうがいいんです。仕事と割り切って対応できますからね。むしろ家族の方の場合、介護されるお母様にも甘えが生じるので、対応は難しいんですよ」と説明された。

 アルツハイマー病の場合、具体的に起きたことの記憶は残らないが、その時に感じた感情や雰囲気はおぼろに記憶に残るらしい。母のとげとげしい対応も、回数を重ねていくにつれて徐々に消えていった。が、それも病気の進行につれて、一度定着したと思った記憶が消えてしまったり、記憶は消えなくとも性格の変化による他者への攻撃性が出たりで、なかなか安定してくれなかった。

 もっと早く、アルツハイマー病の病状が決定的に進行する前に、公的介護保険を導入していれば、早期に母は安定した精神状態になることができた、と、今思うのである。

 「ひょっとして認知症ではないか」と思った場合も、まずは地域包括支援センターに相談するのが得策だ。というのは、地域包括支援センターには、近辺のどの病院にどんな医師がいて、どんな活動をしているかという情報もあるからだ。

 私は、自分でどの病院に連れて行くかを調べ、総合病院を選び、診察が数カ月単位で遅れた。結果的にこれは失敗であったと判定せざるを得ない。なるべく近所の信頼できる病院を、地域包括支援センターに紹介してもらい、すばやく診断を受ける。これが正解だった。

 地域包括支援センターを使えば、診断と並行して、介護認定の申請をも行うこともできる。前回書いた通り、申請から介護認定の結果が出るまでには1カ月程度かかる。とにかく早手回しに動いたほうがいい。

 しつこいが、早期の公的介護保険の利用開始は大変重要だ。先ほど述べた、介護される側が慣れることもあるが、介護する側のストレスが軽減されること、これがまた大きい。そして、介護する側にかかるストレスが軽減されることで、介護される側のクオリティ・オブ・ライフ(QOL)は大きく改善されるのだ。

介護する側が無理をしなくてもすむ体制作りが重要

 私の失敗は、すぐに地域包括支援センターに相談することなく、ずるずると母の認知症の症状悪化に巻き込まれたところにあった。

 介護のストレスは、最初は大したことがなくとも、症状の進行と共に大きくなっていく。気が付くといつの間にか10カ月ほどが経ち、その間に、ストレスに押しつぶされるぎりぎりのところまで行ってしまった。

 過大なストレスで、私は怒りっぽくなり、結果、母との関係は悪化した。

 「認知症の人は自分が変化していくことに不安を感じているのだから、むやみに行動を否定するのではなく、寄り添うようにする」というのが認知症患者に接する基本なのだ。しかし、始終ストレスにさらされているとそのような柔らかい態度を取ることが極度に難しくなる。それどころか、感情的になって怒鳴ることが多くなる。

 不安を抱える認知症患者は、怒鳴られればますます不安になって、情緒不安定になり、さらなる問題を起こしたりする。悪循環だ。

 つまり、認知症に対する対応としては、「早期に、介護する側に過大なストレスがかからない体制を構築する」ことがなによりも重要になる。ひとりで介護、あるいは少人数の家族で介護する限り、ストレスは避けられない。だから介護側の体制が薄ければ薄いほど、素早く公的介護保険制度を利用した介護体制に移行する必要がある。

 何人もの家族で介護ができる場合も、公的介護保険制度の利用は必須だと思った方がいい。認知症の症状は進行するし、疲労は蓄積する。介護を続けながら蓄積した疲労を解消することはそう簡単ではない。最初から疲労が最小限になる体制を組むことで、介護する側だけでなく介護される側も快適に過ごすことが可能になるのだ。

介護する側が楽をしないと、介護される側も不幸になる

 このように考えていくと、認知症の介護とは、介護される側もさりながら、介護する側の問題のほうがより大きいことが見えてくる。

 病気の主体は間違いなく介護される側――私の場合は母――にあるのだが、全体としてその病気とどのように付き合っていくかは、介護「する側」をより集中的にケアしなくてはならないのだ。「私が犠牲になって頑張ればいい」では、介護する側もされる側も不幸になる。

 介護される側と同等、場合によってはそれ以上に介護する側をケアする必要がある――この事実は、あまり広く認識されていないようだが、考えてみれば当たり前で、介護する側が倒れてしまえば、自動的に介護される側の生活は立ち行かなくなるのである。

 母が公的介護保険制度による介護を受けるようになってから、介護の専門家と会話する機会が増えたが、彼らは1人の例外もなく、このことを明確に理解していた。

 何度となく「あなたが倒れたらお母様も不幸になるのですから、可能な限り楽をして、介護を続けられるようにしてください。私達はそのための手伝いをしますから」と言われた。

 「可能な限り楽をする」という言葉に、「安楽に介護をするつもりか」「手を抜くつもりか」と敵意を向けてはいけない。実際に介護の矢面に立ってしまうと「安楽な介護」はあり得ない。また「手を抜く」ことも難しい。手を抜くことはすぐに介護される側のQOLの低下を意味する。

 QOLが下がることを承知の上で手を抜くというのは虐待である。普通の感性ではできない。しかしながら介護する側にかかるストレスがあまりにひどくなると、虐待ということもあり得る。

 だから、公的介護保険制度を使って、“介護をする側が楽をできる仕組み”を作って行くしかないのである。

 最後に。

 2015年の正月、母の状況が容易ならざることを実感した妹は、甥姪3人を連れてドイツから帰国して、母と共に過ごした。

 上は中学生から下は2歳までが家の中をうろちょろして、うるさくて大変ではあったが、母にとっても楽しい時間となった。

 帰国の前に、全員揃ってふぐ料理を食べに行った。

 母は元気なころ「お父さんは、お前にふぐ食わしてやると何度も言っていたのに、一度も連れて行ってくれなくて」としきりと文句を言っていたのを、我々が覚えていたからだ。

 大枚をはたいたふぐ料理はたいへんに美味しかった。
 が、その帰り道、母が文句を言い出した。

 「生臭いばかりておいしくなかった」
 「なにあれ、ほんとにふぐ」などと。

 せっかく楽しい時間を過ごしたのに、母の文句でみんな白けた気分になってしまった。今にして思えば、アルツハイマー病による抑制が効かなくなる性格の変化と、味覚の変化とが重なった結果の反応だったのだろう。

もしも親孝行をしたいなら

 もしも親孝行を、と考えているなら、認知症を発症する前にするべきだ。

 認知症になってしまってからは、生活を支えることこそが親孝行となり、それ以上の楽しいこと、うれしいことを仕組んでも、本人に届くとは限らない。逆に悲しい結果となることもある。

 後日、妹と2人で墓参りした時のこと、妹は父の墓に何事か長時間祈っていた。
 何を祈ったのかと聞くと、妹曰く…

 「お父さんが生きている間に、きちんとお母さんにふぐを食べさせなかったから私達が悲しい目にあったんだよ、奥さんにサービスするするなら、口先だけでなくちゃんとやっといてよ、と文句を言っておいたんだよ」。

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