(前回→「兄貴、ぜんぶ自分で抱え込んじゃダメだ!」」)

 公的介護保険制度で「要介護1」という認定を受けた母は、様々な公的なサービスを利用することが可能になった。まずは補助金を申請して、玄関と風呂場に手すりをつけ、トイレに身体介助器具を入れた。

 次はサービスの利用だ。
 さあ、どのようなサービスを利用することが母にとって一番良いのだろうか。

ヘルパー、デイケア、デイサービス、ショートステイ

 代表的なサービスは4種類ある。ヘルパー、デイケア、デイサービス、ショートステイだ。

 前々回(こちら)に書いた通り、これらのサービスは点数制だ。介護の度合に応じて、利用者には毎月ごとに使用可能な点数が割り振られる。それぞれのサービスは利用にあたって「何点必要」ということが決まっている。どう使うのが一番いいのか、考えなしに使うわけにはいかない。

 そこで、ケアマネージャーという専門職が、介護を受ける本人やその家族と相談し、毎月どのサービスをどれだけ利用するかという介護計画を作成し、点数を配分していくのである。その大きな使い道が、ヘルパー、デイケア、デイサービス、ショートステイということだ。

 ヘルパーは家に来て貰って家事などの手伝いをしてくれる人のこと。古い言葉でいえば、お手伝いさんだが、その仕事の内容は介護関連にかなり厳密に規定されていて、たとえば「散歩に付き添って下さい」というお願いはできない。その場合は「公費助成なしの全額私費」で、来て貰うことになる。

 デイケアは、デイサービスと混同しやすい(というか、連載を開始した後でさえ私も混同していた。大変申し訳ない)。デイケアはリハビリが目的の施設で、医師が指導を行い、そのための資格を持つ理学療法士、言語聴覚士などがいて、専用の設備も備えている。

 デイサービスというのは「デイ(昼間)」という文字通り、昼間に通って過ごす「昼間だけの老人ホーム」といった施設だ。朝、自動車で迎えに来て、夕方も送ってきてくれる。民間が運営しており、それぞれ特色を打ち出して競っている。「軽い体操をやって体を動かします」というところもあるし、「お習字、工作などで手を動かして、頭の衰えを防ぎます」というところもある。リハビリのためのサービス(機能訓練)もあるが、デイケアのように主目的ではない、ということだ(ただしややこしいのだが、実際には「リハビリが中心のデイサービス」という施設も存在する)。

 ショートステイというのは老人専用の宿泊施設だ。短期滞在の老人ホームといえばいいだろうか。数日から数週間までの宿泊が可能で、「どうしても老親を置いて長期間出かけなくてはならない」という時に、1泊5000円前後で利用できる。

 これらの制度や施設は、思い立ったらすぐに利用可能…というわけにはいかない。ヘルパーさんの人数は限りがあるし、施設にはそれぞれ定員がある。昨今の老人人口の増加により、需要過多・供給不足気味で、通常は「空きが出るまで待って下さい」ということになる。

戦線維持の基本は体力だ!

 私の母の場合は、「まずは体力の低下を防がねばならない」という点で兄弟の意見が一致した。

本連載、ついに単行本化。
タイトルは『母さん、ごめん』です。

 この連載「介護生活敗戦記」が『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』として単行本になりました。

 老いていく親を気遣いつつ、日々の生活に取り紛れてしまい、それでもどこかで心配している方は、いわゆる介護のハウツー本を読む気にはなりにくいし、読んでもどこかリアリティがなくて、なかなか頭に入らないと思います。

 ノンフィクションの手法でペーソスを交えて書かれたこの本は、ビジネスパーソンが「いざ介護」となったときにどう体制を構築するかを学ぶための、読みやすさと実用性を併せ持っています。

 そして、まとめて最後まで読むと、この本が連載から大きく改題された理由もお分かりいただけるのではないでしょうか。単なる介護のハウツーを語った本ではない、という実感があったからこそ、ややセンチな題となりました。

 どうぞお手にとって改めてご覧下さい。夕暮れの鉄橋を渡る電車が目印です。よろしくお願い申し上げます。(担当編集Y)

 2015年4月の転倒は、2013年頃から徐々に進行した体力の低下が原因であることは間違いない。「歩く」という、人間にとって基本的な動作が危うくなれば、ますます体を動かさなくなり、一気に体が衰えるであろうことは容易に予想できた。再度転倒し、骨折でもしようものなら、そのまま寝たきりになる可能性だってある。

 可能な限り今までの生活を維持するためには、まず肉体だ。特に脚の衰えを防がなくてはならない。

運動に熱心に取り組んでいた母

 もともと母は、しっかり運動を心がけていた。

 毎週スポーツクラブで泳ぎ、さらに太極拳の教室にも通っていた。太極拳には一時期かなり入れ込んで、専用の衣装や靴まで揃えていたのだが、それが2012年の中頃だったか「もうやらない」とぱったりとやめてしまった。

 弟はこの件を「太極拳をやめたから認知症になったんだ。あの時随分やめるなといったのだけれど」と分析した。が、兄弟でよくよく考えるに、話は逆ではないかということになった。なにか認知症の初期症状で、それまで出来ていた太極拳の所作ができなくなったのではないか。そのことを人に知られるのがいやで「太極拳やめる」となってしまったのではないだろうか。とすると、あれほど熱心に習っていた太極拳をぱったりとやめたことは、認知症の兆候だったということになる。

 水泳は、それでも2015年の春になると数回は通った。が、6月に入ったころだったか、スポーツクラブから電話がかかってきた。

 「松浦さんですが、いままで使えていたロッカーが使えなくなってしまったようなんです。どうしたのでしょうか」――ああ、もう水泳もだめか、と嘆息した。この電話と前後して、後述する失禁の問題が始まった。失禁してしまう身体で、他人様も一緒に泳ぐプールに通わせることはできない。スポーツクラブは退会ということになった。

 こうして見ると、ひとたび認知症を発症すると、本人の意志で進行する老化に抵抗するのは非常に難しいことが分かる。

犬との散歩に付き合うべき、だったが…

 もうひとつ、母は毎日老犬と共に近所を散歩していた。転倒の原因となった習慣である。

 犬は、ガンを患った父が生前小康を得た時に「目が合ってしまって」と突如連れてきたシーズーとテリアの混血で、母によくなついていた。父としては「自分がいなくなってもさびしくないように」と考えたのかも知れない。母も、毎月犬をトリマーに出してきちんと毛を手入れするなどして、ずいぶんと犬をかわいがった。

 認知症の症状が出始め、身体の衰えが明らかになった2014年秋以降、弟は「足元があぶないから、兄貴が付いて一緒に散歩するべきだ」と主張していたが、私は怠っていた。距離は大したことはないが、ぽたぽたとゆっくり歩く老母と老犬の散歩は、小1時間ほどかかる。どんどん介護に時間を取られる中で、その時間が惜しかった。

 なによりもこの時期、母はまだ自分の意志で犬を連れて散歩に出ていた。自分の意志で自分でできることは、なるべく自分にやらせたほうが衰えは防げるのではないだろうかと考えたのである。

 結局、2015年4月の散歩中の転倒で、新薬の臨床試験参加のチャンスを逃してしまったのだから、私の判断は間違っていた。「なんでも自分にやらせたほうがいい」という判断も、結局は介護からの逃避だったのかも知れない。

 もう少し母の様子をきちんと観察し、適切なタイミングで一緒に散歩に行くようにするべきだった。だが、日常的にどんどん介護に時間をとられるようになる状況下では、毎日の小1時間という時間が、とてもとても貴重に感じてしまったのである。

 転倒の後、私は母と老犬の散歩に毎日付きそうようになった。「ちょっとの手間を惜しんで、転んで怪我して、バカみたいだ」と弟に言われた。その通りだ。が、そのちょっとの手間が、散歩に限らず生活のあらゆる局面で発生し、どこまでも積み上がって自分の生活と仕事の時間を圧迫していく――それが介護という作業の特徴であった。

「そんなの知らない。必要ない。私は行かない」

 幸いなことに、比較的近所に身体のリハビリテーションを専門に行うデイサービス施設があり、週に1回だけだが定員に空きがあることが分かった。運動専門なので、デイサービスといっても半日、朝9時から昼12時までである。半日というのは、慣れさせる意味でも最初の一歩として好都合だ。

 こうして母の最初のデイサービスは、リハビリテーション運動を半日行うということになった。毎週金曜日に通うことになり、初回は2015年5月22日。

 さて、次なる問題は、デイサービスに通うことを母に納得させることである。

 「やだ」と母は即答した。「なんで私は、そんなところに通わないかんの。私は私のしたいように暮らしたいの。そんなところにいって、号令掛けられて一緒に運動なんて絶対いや」。

 とりつくしまもない、とはこのことだ。何回説明しても返事は同じ。しかも、毎回忘れるので、最初から説明しなおし、同じ反応を聞かされる。

 これは相当揉めるぞと覚悟し、5月22日の当日を迎えた。

 自動車で「松浦さーん」とお迎えが来た。「さあ行きましょう」と母をうながすと、「どこに行くの」とけげんな表情で聞き返す。「午前中、リハビリの運動をしに行くんですよ」というと、「そんなの知らない。必要ない。私は行かない」と言い、2階の自分の部屋にこもってしまった。

 「さあ、行きましょう」とうながすが、母は動こうとしない。行きましょう、いやだ。行きましょうったら、いやだいやだ――言葉が通じる状態ではなく、やがてもみ合いになった。母は背中を向け、寝転がって抵抗した。

 既視感があった。俺、これと同じところ見た事がある、否、やったことがある。
 子供の頃、デパートでおもちゃを買ってもらえなくて泣いて寝転がって抵抗したことがあるが、まるっきり同じだ。

 困り果てて、外で待っている迎えの人に説明する。

 「どうしても母が出てこようとしないんです。もうちょっとがんばってみますので、待っててもらえますか」

 すると、相手の方はけげんそうな顔をして、「お母さん?」と聞き返した。「僕、犬のトリマーですよ。毎月の予約でお宅のワンちゃんお預かりして、毛を刈っているんですが」。

 そうかーっ、今日は犬のトリミングの日でもあったかっ。へなへなとヒザが崩れ、そのまま地面に突っ伏して笑い転げてしまった。いったい自分は何をやっているんだ。母と言い合ってもみ合って、母はといえばかつてのだだっ子だった自分のようにじたばだして、それで犬のトリマーさんをデイサービスの送迎と間違えてしまったとは。

 我に返って犬を送り出して数分後、今度は本物のデイサービスのお迎えが来た。見た目も爽やかな体育系のインストラクターの方が玄関から、「松浦さーん、お迎えに来ました。一緒に運動しましょうね」と2階の母に声をかける。

イケメンインストラクターさん、母を動かす

 と、不承不承ながら母が立ち上がり、階下に降りてきた。「私、そんなこと必要ないんだけれど」というところに、インストラクターさんが「でも、体を動かすと血流も良くなるんですよ」と説得する。

 するとなんということか、私がどれだけ「行きましょう」といっても動こうとしなかった母が、「そうかしら」などと言って、玄関まで出てくるではないか。

 そうだった。母は割と外聞を気にするほうだった。

 電話の応対の声は通常よりも1オクターブ高くなるクチだったし、家族が言っても言うことを聞かない場合も、他人から言われるとするっと動く傾向があった。ましてやこの美男子のインストラクターさんなら、「行きましょう」と言われて悪い気分になるはずがない。老いたりといえど、母だって女性だ。

 こうして、さほど揉めることもなく、母は初めてのデイサービスへと出かけていったのである。

3時間、つかの間の開放感を味わう

 午前9時にでかけて、帰りは昼の12時。
 この間に自分が感じた開放感を、一体どう形容すればいいだろうか。  この時間は自分のものであり、自由に使って良いのだ。

 が、すぐに気が付く。洗濯をしないと、掃除をしないと。あれこれ溜まった家事を片付けているうちに昼になり、母は戻ってきた。

 「どうだった?」
 「どうだったもこうだったもないわよ」

 返事はあいまいなものだった。デイサービスで行ったリハビリ運動のことが記憶に残っているかどうかは怪しい。が、とりあえず口調が険悪でないことにほっとする。これからも通ってくれそうだ。

 後でこの日の経緯を、ケアマネージャーのTさんにしたところ「ああ、それはあります。ご家族の方がいくらうながしても駄目な時も、家族以外の介護の人が言うとご本人が動いてくれることはあるんですよ。家族だからできることばかりではなくて、我々外部の者だからこそできることってあります」ということだった。

 「でも、そういうことなら、デイサービスがある日は、朝の送り出しにヘルパーさんを入れたほうが、お母様も気持ちよくお出かけできていいですね」。

 なるほど、介護のノウハウとはこういうものなのか、と私は感心した。

■変更履歴
記事掲載当初、タイトル、本文中で「デイケア」としていた箇所は、正しくは「デイサービス」です。お詫びして訂正します。本文は修正済みです [2017/05/17 18:50]
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