「親の介護で悩まない」たった1つの方法をお教えします。
あなたが、今、親の介護をしていたら、今すぐに。
まだまだ、親の介護は先のことだと思っている方は、今から。
あなたに刷り込まれている、介護に関する“べき論”を、すべて頭の中から捨てることです。
たとえば……
- 親の世話は子どもがすべきである
- 親に介護が必要になったら、常に近くにいて介護をすべきである
- 他人に任せるより家族が介護をすべきである
- 施設よりも、家で介護をすべきである
- 親は親たるべき、子は子たるべきである
- 親には少しでも長生きをしてもらうべきである
- 親の介護に後悔しないように、最期の瞬間まで自分が頑張るべきである
- 子どもは親の最期に立ち会うべきである
「えっ、なんで!? 全部昔から世の中でいわれている当たり前のことじゃないの?」
と思われたかもしれません。ですが、そう思っている、あなたはすでに介護の“べき論”の呪い(と、あえて言ってしまいます)にかかっています。
介護をする子どもたちを縛る“呪い”
なぜ、私がこんなことを言うようになったのか。
それは、私が働く世代からの介護相談において、介護の“べき論”に縛られて、苦しんでいる方たちをたくさん見てきたからです。相談を受けながら、幼いころから呪いのように私たちを縛り付けている介護の“べき論”を頭の中から捨てるように促すと、みなさん、つきものが落ちたように、険しかった顔が穏やかになっていきます。
介護に関する“べき論”の呪いに苦しみ続けるよくある例として、
「親の介護はあとで後悔しないように、最期まで、できる限り頑張るべきだ」
というものがあります。
親御さんが旅立つまで頑張り抜いたお子さんには、悔いは残らないのでしょうか?
自分が見てきた限りで言いますと、「悔いが残らないように、親の介護を最期まで頑張った」人ほど、親をみとってから強く後悔しているケースが、すべてではありませんが、ほとんどです。
「私の介護は間違っていたのではないか」
「もっと、親のためにできることがあったのではないだろうか」と思い悩んで、ご自身の生活にまで大きな影響が及んでいます。
「親の介護に後悔しないように、最期まで、できる限り頑張るべきだ」
と考えて、そのように動いてしまう気持ちはよく分かります。それは日本人のDNAに組み込まれているかのごとく、多くの人が子どものころから「何事も頑張れば報われる。後悔しないために頑張れ」と刷り込まれているからです。
スポーツや勉強ならば、ある程度それは成り立つかもしれません。
しかし、介護においてはどんなにあなたが頑張っても、親の老いは止められません。
また、「後悔しないために頑張る」方は、この連載でさんざん警鐘を鳴らしてきた「リハビリを頑張って、自分にとっての親=現役世代の状態に戻す」ことを考えていることが多いのです。
何度も申し上げた通り、それはどう頑張ってもできません。この連載を始めた松浦晋也さんが指摘したとおり「介護は撤退戦」、最初から負け戦なのです。どう被害を抑え、できるかぎりストレスを小さくしていくか、を考えるべきです。
常に近くにいて自分が関わり頑張れば、というのは、攻めの姿勢です。頑張れば頑張るほど、報われるどころか、成果は上がらずずるずると後退し、無理を強いる親にも、自分自身にも負担が増え、出口の見えないトンネルの中で苦しみ続けることになりかねません。
そして、介護が終わってトンネルを出ても、親を元に戻せなかった後悔から自分を責めて後ろを振り返り「あの中で、もっとできることがあったはず……」と、またトンネルの中にいたときのようにもがき苦しむのです。
先日も、こんな相談がありました。
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