自宅を他人に貸すホームシェアリング、いわゆる「民泊」を国内でも合法的に実現しようと、観光庁を中心に「住宅宿泊事業法案(民泊新法)」の整備が進む。法案は既に自民党による審査に入っており、政府は3月10日前後の閣議決定、今国会での成立を目指している。
この民泊新法について、一般には「民泊解禁へ」と報じられている。だが実態は解禁どころか、その逆。むしろ、国内に根付きつつある民泊が後退しかねない。
民泊業界からは、「シェアリングエコノミーという新産業の振興を後押しすべき経済産業省は何をやっているのか」との恨み節も聞こえてくる。そのはず、民泊に関して経産省は何もやっていないに等しい。まずは、経緯をおさらいしよう。
一般人が自宅を旅行者に貸すとしても、現状では旅館業の登録やフロントの設置などを義務付けている「旅館業法」の順守が求められる。だが、インターネットやアプリを介して気軽に貸し借りできるプラットフォームが世界的に普及。自宅を貸す「ホスト」の多くは旅館業法を無視した違法状態にあるのが実情だ。
こうした状態を改善し、ホストが貸しやすい制度、宿泊する「ゲスト」が安心して利用できる制度を作ろう、というのが、そもそも民泊解禁の議論の発端だった。
2013年、国家戦略特区諮問会議は、特区で民泊を解禁する方針を示し、昨年から東京都大田区など一部自治体では、旅館業法が定めるフロントの設置や、一部の提出書類を省いても民泊として営業可能となった。次いで、全国的な解禁に向けた作業が進む。これが民泊新法だ。
ところがこの法案は、民泊を推進したい勢力からすれば目を疑うような内容であることが最近、明らかとなったのだ。
世界の趨勢の逆をゆく日本の民泊新法
新法はまず、ホスト(住宅宿泊事業者)への規制を定めている。都道府県知事への届け出を義務付け、かつ、ゲストへの宿泊サービス提供の上限を年間180日以内と定めている。加えて、「外国語による説明」「宿泊者名簿」「年間提供日数の定期報告」「標識の掲示」といった適正な遂行のための措置もホストに義務付けている。
これに眉をひそめるのが、民泊世界最大手のAirbnb(エアビーアンドビー)だ。エアビーが民家などへ送った宿泊者数は2008年の創業以来、世界で1億5000万人を超えた。同社の関係者はこう漏らす。
「世界の多くの都市では、年間上限までは無届け・無許可で営業可能。法案は一般人ホストからするとガチガチ。シンプルで誰にでも分かりやすく、利用しやすい法律にはなっていない。例えば70歳のおばあちゃんが亡くなった旦那の寝室を気軽に貸せるような制度ではない」
例えば英ロンドンでは年間上限90日まで、米フィラデルフィアでは同90日、仏パリでは同120日までであれば、無届けで自由に自宅をゲストに貸すことができる。オーストラリアでは民泊を法律の適用除外とする法案が通り、一切の規制が排除された。ポルトガルでは届け出が必須だが上限規制などはなく、ゲスト向けのオンライン登録制度も極めて簡潔のため、物件数が急増しているという。
しかし、日本の新法は、こうした世界の趨勢と逆行するように、一般人のホストに対して過剰な負担を強いるものになっている。すべてのホストに届け出を義務化するだけでも世界からしたら珍しいのだが、その他の義務付けも壁が高い。
最たるものが、標識の掲示。詳細は煮詰まっていないが、住宅宿泊事業者の届け出番号や氏名、連絡先などが書かれたステッカーのようなものを、玄関などの見える場所に掲示することを義務付ける方向で議論が進んでいる。「ひとり暮らしの女性はどうするのか。危険ではないのか」。そういった声に、法案を担当する観光庁の官僚は「仕方がない」と答えたという。
国内でも民泊仲介のトップをゆくエアビー。そこに掲載されている都内の物件数は1万7000超、大阪府内は1万2000超あるが、その多くが無許可で旅館業法の規定違反と見られる。一般人ホストは、旅館業法が定める煩雑な登録作業を回避しているからなのだが、新法が施行しても、これでは結局、無届けの違法民泊物件が減らない、との指摘が民泊の現場からは噴出している。
話はこれで終わらない。新法は新たに、エアビーなどの仲介業者への規制も盛り込まれる。この新たな規制により、エアビーが事実上の撤退に追い込まれる可能性すら出てきた。
新法はまず、エアビーのようなホストとゲストを仲介する事業者に対して、観光庁長官への登録を義務付けている。さらに、「信義・誠実に義務を処理」「不当な勧誘等の防止」といった適正な遂行のための措置も義務付け、守られない場合は立ち入り検査や登録の取り消しといった行政処分が課せられることになる。
適正な遂行のための措置をどう読み解くのかにもよるが、エアビーは数万件ある違法物件の多くを削除せざるを得ない状況に追い込まれる可能性がある。そうなれば、エアビーは日本市場から撤退を余儀なくされるかもしれない。法案はそうした含みを残した。
表向きは「民泊解禁」の顔をしながら、実態は「民泊後退」、もしくはエアビーの締め出しを迫る新法。なぜ、こういう帰結になろうとしているのか。理由は明白。ホームシェアリングという新たな市場に怯えるホテル・旅館という旧市場。そこと蜜月にある観光庁が法案作成の主体だからである。
民泊の利用が進むいずれの海外の国・都市も、ホームシェアリングという新市場をいかに健全に育てるか、を主眼に制度を整えてきた。ところが日本では、旧市場をいかに守るか、という議論が先行している。
実は、国土交通省傘下の観光庁だけではなく、衛生面で監督する厚生労働省もホテル・旅館業界と蜜月。観光庁は厚労省と密接に連携しながら法案準備を進め、前提となる委員会・検討会などでは、全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会(全旅連)などの業界団体が徹底抗戦を仕掛けていた。
新勢力に怯えるホテル・旅館業界の顔色をうかがいながら新法を作れば、規制・後退色の強いものとなるのは自明。結果、新市場の勢力からすれば、極めて難解で利用しにくい制度となってしまいそうなのだ。
こうなってしまった遠因として、もう一つ、「経産省の不在」も挙げられる。エアビー関係者は言う。
「当初は新産業の振興を担う経産省に大きな期待を寄せていたが、結局は何もしてくれない。もはや、経産省に行くことはほとんどなく、もっぱら観光庁や厚労省と付き合っている」
経産省不在の政策議論
経産省は、シェアリングエコノミー協会という社団法人を監督している。協会には、シェアリングエコノミーに関連する国内ベンチャーのほか、エアビー日本法人や、ライドシェア世界最大手、米ウーバーテクノロジーズの日本法人、ウーバージャパンも名を連ねる。
だが、新産業の監督官庁である経産省は、民泊新法にほとんどかかわることができずにいる。
やったことと言えば、シェアリングエコノミー協会と連携する形で、「シェアリングエコノミー促進室」の設置に手を貸したことくらい。促進室は、内閣官房傘下のIT総合戦略室内に設置され、その役割を「情報提供・相談窓口機能のほか、自主的ルールの普及・促進、関係府省等との連絡調整、ベストプラクティスの紹介、その他のシェアリングエコノミーの促進に関する取組を推進」としている。
要するに、シェアリングエコノミーに関連する事業者や個人向けの「相談窓口」。民泊新法に関する委員会や検討会は、観光庁と厚労省の主導で進められ、本丸の政策議論について経産省は蚊帳の外だった。
なぜ、経産省は新産業の創生を前に、すくむのか。
「経産省がやると出ていけば、(観光庁などの)他省庁は頑なになるんですよ。例えば経産省が『民泊研究会』を作ってやるといったら、もう絶対に話が先に進まない。経産省がダイレクトに行って物事が遅くなるなら、行かないほうがいい。僕らは、シェアリングエコノミーを推進するという目的を達成すればいいんです」
経産省幹部はこう話す。すくんでいるわけではなく、シェアリングエコノミーを推進するための、あえての戦術が「攻めない」というわけだ。しかし、それでは「攻める」連中にやられてしまう。
22日、自民党は民泊新法の審査に入ったが、ホテル・旅館業界に近い議員からの物言いが相次ぎ、了承は持ち越しとなった。前述のように民泊業界の現場からはかなり厳しい法案なのだが、「宿泊提供の年間上限を30日以下にすべき」と主張する旅館業界を擁護する声が噴出した。
さらに新法が定める年間上限の180日はあくまで、国としての上限。自治体はこの上限を条例によって低くすることができる建て付けになっているが、旅館業界に近い自民党議員からは「条例で制限できるという法的根拠を法律に盛り込むべき」といった声も出たという。
これでは、「宿泊提供の年間上限はゼロ日」という自治体が出かねない。政府の規制改革推進会議が翌23日に開いた会合では「民泊の普及を阻害する可能性がある」との指摘があった。シェアリングエコノミー協会も同日、声を上げる。
同協会は23日、「民泊新法の在り方に関する意見書」を公表。「住宅宿泊仲介業者(プラットフォーマー)は登録制にすべきではない」「宿泊提供の上限日数制限に反対する」「標識の掲示は家主の個人情報をさらし、家主自身の安全を脅かす」などと表明した。
しかし、経産省は例によって黙したまま。現状、アクションを起こすことができていない。ところが、安穏としてはいられなくなる事態が海の向こうで起きつつある。
米国勢の圧力、尻ぬぐいするのは経産省
米グーグルやフェイスブックなどが加盟する米最大のIT業界団体、米インターネット・アソシエーションは米国時間の24日、日本のシェアリングエコノミー政策を痛烈に批判する声明文を公表した。照準は、民泊新法。以下、内容を抜粋する。
「今、ホームシェアリングのプラットフォーム事業者を規制する動きが広がっている。仮に誤った規制がまかり通れば、せっかくのイノベーションと経済成長が阻害され、後退しかねない事態につながる」
「日本政府の方針には、登録されたプラットフォーム事業者に厳しい義務を課すことによって、日本国内、そして他国でホームシェアプラットフォームの運営を目指す事業者を排除する可能性が含まれている。これは競争と消費者の選択を大幅に制限するばかりか、イノベーションの妨げとなる」
「日本の政府がシェアリングエコノミーを公的に支援すると表明しつつ、同時にプラットフォーム事業者の自発的な抑制を検討するという矛盾をはらんだ動きだ」
これとは別に、「民泊新法の内容が、世界貿易機関(WTO)協定違反の疑いがあるとして、既に米大使館などが動いている」(業界関係者)という話も出てきた。エアビーのような仲介業者を締め出すような規制は、外資の自由参入を認めるWTO協定に背いている、という指摘だ。
米国の環太平洋経済連携協定(TPP)からの離脱で、今後、米国との2国間貿易交渉が本格化する見込みだが、こうした「インターネットサービス業の排除」についても米国が槍玉に挙げる可能性がある。そうなれば、尻ぬぐいをさせられるのは経産省である。
何もしないことが戦略と評価されるのか、それとも「不作為」と断罪されるのか。少なくとも新勢力は、経産省の「介入」を待望している。
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