『エミールと探偵たち』(エーリッヒ・ケストナー)や『子どもだけの町』(ヘンリー・ウィンターフェルト)は、大人たちがいない世界で子どもたちが力を合わせて大活躍する児童文学の傑作です。お読みになったご記憶、ありませんでしょうか。今回登場する陽さんは、「バイトだけのカフェ」を“経営”することになってしまった大学生です。時給850円で店長業務まで引き受けた彼女が得たのは何なのかを、振り返ってもらいました。(担当編集Y)
「うち、カフェだよ? どうして卵の賞味期限を切らしたりするのかなあ」
ややヤケになって笑いながら、お店を他の子に任せて、足りなくなった卵を買いにコンビニの列に並びました。レジでは新人店員さんがキャッシュレス決済の処理に戸惑っています。そこへさっと現れてレジをさばく店長。頼もしい。
「そういえばうちの店、前の店長が辞めてから結構たったな、だから必要なものが足りなくなったりするんだよ~」
なんて考えながら、またお店に戻ります。卵を渡して本社へ領収書を持っていく道中、ふと気になりました。交代の店長さんはいつ来るのでしょう。本社の社員さんに聞いてみます。
「○○(社員)さん、そういえば、新しい店長っていつ来るんですかね?」
「あー、多分もう来ないと思います……」
「え?」
初めまして。某地方国立大学に通う、陽と申します。
私は、大学進学をきっかけに親元を離れ、大学1年生の春から大学のある街のカフェでアルバイトを始めました。
そしてこの店舗には、店長さんも社員さんもいません。
正確に言うと、“店長・社員が退職し、店舗にいるのは学生アルバイトだけになってしまったお店”です。まずは、なぜこのような状況になったのか、そこから説明させてください。
高校生時代から、暇さえあればカフェに行っていた私は、「大学生になったら絶対におしゃれなカフェで働くんだ!」と心に決めていました。
今の職場に初めて出合った(つまりこの店を初訪問した)ときの感動は今も忘れられません。
憧れのカフェでアルバイトを始める
「大きな企業が経営してるんだ。有名な場所にあるお店だし、市内観光がてら見てみるか~」
くらいの気持ちで、面接を受けに向かいました。スライドドアを開けると、ワッフルの生地から香るイーストと挽きたてのコーヒーが混じった、なんとも不思議な香りに包まれます。他のお客さんの会話がギリギリ聞こえないくらいの大きさで流れるジャズミュージックに、白を基調としたスタイリッシュな店内。客席は、20席くらい。床は木を敷いてるんだ……おしゃれ!
と一人高ぶっていると、同い年くらいの店員さんが「いらっしゃいませ」と微笑んでくれたので、私もペコっと頭を下げてみます。制服は、空色のカッターシャツにデニム生地のエプロン。「かわいい! ここで働きたい!!」と即決して、このカフェにオープン後の初の求人で雇ってもらいました。
憧れがかなったわけですが、仕事は自分の能力が追いつかず、なかなか厳しいものがありました。
飲食店のアルバイトは、調理を行うキッチン、接客を行うホール、と仕事が分かれていることが多いのですが、このお店はオープンキッチンスタイル(キッチンが客席から全て見えて、ホール・キッチンの区切りがないスタイル)でした。そのため、早く全ての仕事を覚えねばなりません。
コーヒーのドリップ、ラテアートの練習、ワッフルやサンドイッチの作り方、レジの打ち方、接客の言葉遣いなど、覚えるというより脳内にたたき込むことだらけ。毎日、「ええっ、もうラストオーダーの時間なんですか!?」と驚いてしまうほど、アタマも体もフル回転させて必死に働いていました。
待遇への不満で店長さんが辞めちゃった
開店から1年半ほどがたち、仕事もだんだん身についてきて、お客さんの入りも良く、まずまず安定飛行。と思っていたタイミングで、突然、オープンから店長を務めてきた社員さんが、妊娠をきっかけに退職してしまいます。
スタッフは、店長以外はパートかアルバイト(10人前後)でした。前の店長が退職された後、本社の方が何度もお願いして、パートの方が渋々契約社員として店長になってくださいましたが、その方も半年ほど店長として働いた後、退職されてしまいました。
当時はただ「ええっ」と驚くだけでしたが、この記事を書くに当たって、つてをたどってお会いして、辞められた理由を伺ってみました。
一つは、「仕事量にそぐわない待遇への不満」、もう一つは、「本社からの指示で店舗のコンセプトを変更することになったのだけれど、その内容に納得がいかなかった」ことだそうです。思わず「わかります!」と声に出してしまいました。
残された私たちは、当然、新しい店長が派遣されてくると思っていましたが、本社からの連絡は「店舗の運営はアルバイトの皆さんに任せます。経理とシフト作成だけは周辺の姉妹店と合同で1人の社員に担当させます」でした。
こうして、店舗スタッフは学生アルバイトのみという珍しいお店が誕生したというわけです。でも、それでお店って回るの?
店長不在の店がどんどん荒れていく……
結論から言うと、回りませんでした。
もっと正確に言えば、開店して営業することはできたけれど、お店としてはどんどんおかしくなっていったのです。
当時、店長が担当していた主な業務(経理とシフト作成を除く)は以下でした。
- 在庫管理(発注業務・業者さんとの打ち合わせ)
- 店舗運営(メニュー開発・新人指導・ラテアートやハンドドリップの技術指導)
- 本社との会議
これらの業務を担当する人がいなくなると、当然ながらお店はどんどん不安定になります。本社から「あとは任せます」と言われたものの、バイトリーダーもいない状態で、誰に決定権があるかさえ明確にされていませんでした。
このため、私も含めて全員が、“勝手に”動くことにはなんとなく気が引けてしまう状況が生まれてしまいました。出勤がかぶった人と「どうしたらいいんだろうね」と話しながら、様々な仕事が放置されていきます。
次第に連絡ミス・発注ミスが増えていき、気がついたらメニューに必須の食材が底をついて数週間入荷待ち、という事態も頻発しました。
お客様は大迷惑です。楽しみにしてきた台湾ミルクティーがずっと入荷待ちで品切れ(税関に引っかかって輸入できず、しばらく台湾と日本の間をさまよっていたらしい)、インスタを見ておいしそうだと思ったシフォンケーキが食べられない。「申しわけありません。そちら今切らしてまして」と説明してがっかりされるお客様を見るのが辛くて、注文を取るのさえ気が重い……。
そんな状況の中で一人二人と先輩のアルバイトが退職していき、気づいたら私が一番の古株になっていました。
「社員がいない店舗が長続きするはずがない」と諦めていたのですが、自分なりに思い入れがあるお店がボロボロになっていく状況を見過ごすことはどうしてもできませんでした。
どうにかならないのか。そこでふと考えました。
「あれ? なぜ“社員がいる店舗なら長続きする”って思ったんだろう」
いろいろな理由はあると思いますが、要するに「自分の(会社の)店」だから、頑張ろうと思うからじゃないでしょうか。だとしたらこの店で働くことを気に入っている私が、ここを勝手に「自分の店」と思っても(思うだけなら)いいのかもしれません。そう思って頑張れば、もしかしたらお客様にも、働く私たちにもいい方向に、この店を向けることができるかもしれない。
「どうせアルバイトだし、せっかく古株だし、できることをやってみよう!」
と私は考えたのでした。
突っ走って大失敗した経験
……といっても、私は「古株のバイト」という以上の立場ではないのでなんの権限もありません。「今日からこの店の店長になります!」と言っても勝手にはなれません。
そして、「やる気」だけで突っ走っても、なかなか他の人は付いてこない、どころか、嫌われたり無視されることになったりします。
これには苦い経験があります。中学生時代に、責任感だけで突っ走って失敗したのです。
女友達数人で盛り上がってクラス会の幹事を引き受けたのはいいけれど、私たち以外は全く乗り気ではなく、話が一向に進まなかったのです。それならそうと、自由参加にしてしまえばよかったのですが、当時の私は「全員に参加してもらうこと」に一生懸命で、何度も日程調整を行い、声掛けをしました。あまり気乗りしない人に正面突破を試みたこの行動が逆に圧力になり、最終的に大量のドタキャンが発生。20人以上の団体席に、10人くらいが集まって、寂しく焼き肉を食べたのを覚えています。思い出しても胸が痛い……。
自分の悪いクセが出てしまうと、自分はもちろん相手も傷つけてしまう。どうも自分には、思い込むと突っ走る傾向があるのです。この店でも、店長が退職されて間もない頃は、今まで通りにお店を回そうと1人で必死になっていました。店舗のコンセプトを変えたいという話が本社から出たときに、誰にも相談せずに「やめてください」と直談判しに行った青い過去が。ああ、恥ずかしい。
自分だけでできることには限りがある
もちろん、1人でお店が回るわけもなく、会社の方針を変えることはできません。
自分だけでできることには限界がある。やる気だけで引っ張るのも無理。
ガラガラの焼き肉パーティーの二の舞いを避けるには、「誰それに言われて仕方なく」「やりたくないのにやらされている」という形にしては絶対ダメ。丁寧に、頼られ、お願いされて、手伝ってあげている、くらいの意識を持ってもらえるくらいがちょうどいいのではないか。
というのが、自分の体験からの「リーダーにならずに人に仕事をしてもらう」方法でした。
そもそも、こんな自分も頑張る気力や時間は無限ではありません。
「できることからちょっとずつ」を心掛けるようにしました。
まずは「連絡帳」、そして「発注マニュアル」
具体的には、こんな感じです。
まず、常駐スタッフがいないことで連絡ミスが多発していた状況を改善するために、伝えておきたいことを記入する日報ファイルを用意して事務所に置きました。
「たかが連絡帳」なのですが、情報の錯綜が減り、休暇明けで久しぶりにシフトに入った人も店舗の状況についていけるようになりました。こんなことですら、自分からやり出すのは「おこがましくない? でしゃばりだと思われない?」と、勇気がいるのです。私もかなり悩んだのですが、「自分の大事な店のため」と思うと、小さな一歩ですが踏み出すことができました。
次に、「どうしたらいいんだろうね」と放置していた内装の整備に取り掛かりました。「こういうポップ(店頭に置くメニュー)やお店の看板があったらすごくいいと思うんだけど……」とバイト全員に相談して、みんなで手分けして季節ごとに書き換えました。外に出す看板に関しては、立ち止まって興味を持ってもらえるように、特に絵が上手なスタッフに「あなたを見込んで」と頼んで描いてもらいました。
情報が共有され、店内の雰囲気が良くなってきたところで、いよいよ在庫管理です。
常駐スタッフがいなくても在庫数に波が出ないように、発注マニュアルを作成しました。私たちの店舗では、発注先は10社前後、取扱商品は50品前後あります。アルバイトによって発注方法や発注のタイミングの理解度が異なるため、ミスも起きますし、在庫が増えすぎたりなくなったりしていたわけです。私もきちんと理解していない部分があり、単位を間違えて発注して、冷凍庫をクロワッサンいっぱいにしたことがあります。
そこで、発注する業者さんごとに取扱商品をリストアップし、
- 発注方法(FAX、電話、オンラインなど)
- 発注のタイミング(残り3つになったら発注、など)
- 発注単位(ケース発注や個数発注など)
を1つのエクセルファイルにまとめて事務所に貼りました。発注方法については、店長がしているのを盗み見て覚えていたのですが、発注単位やタイミングは、業者さんに電話で尋ねたりして完成させました。こうして、全スタッフが発注業務を同一レベルで理解したことで、ミスは激減しました。もう、お客様を悲しませたり、怒らせたりすることはありません。
まとめてみると「それぞれの人の特性に合った仕事を、その人に合うやり方でお願いする」ということを心掛けた、ということになるでしょうか。例えば、栄養学系の大学に通っている子や料理が趣味の子は新メニュー開発に積極的でしたし、教育学系の学生は絵や字が上手で、幅広い世代に伝わるような看板を描いてくれました。このような“得意分野”を踏まえつつ、指示されたことを的確にこなすことが好きな人には、「○○に○○を発注してほしい」のような具体的な作業リストを渡し、自分で考えて仕事をしたい人には「次の期間限定メニューを何にするか意見を聞きたい」のようなざっくりしたお願いをしていました。
皆の力を借りると、私が1人で迷走していたときよりはるかにいいサービスを提供できるようになりました。(あたりまえですがそこに気づいていなかったのです)。また、私自身も、表立って行動するよりバックアップ的な役割のほうが働きやすい性格であったことに気づきました。改めて、チームで行動することの強さを再確認したアルバイト生活だったなと思います。
お店がきれいになり、欠品がなくなり、サービスが向上すればお客様の反応も良くなってきて、私たちにも手応えが出てきます。とはいえ、新型コロナ禍の影響もあって、売上高などの数字は横ばい維持がやっとのことでした。
あれ、なんでここまで頑張っちゃったの?
改めて書いてみると「これだけ張り切って仕事をしたなら、それなりにお給料をもらえてもいいのかな?」と、正直自分でも思います(笑)。
が、もちろん、頂くお給料は他のアルバイトと同額です。では、なぜ私がここまで仕事に積極的だったのか、なぜ、「自分の店」とまで思い入れたのか、そこをちょっと考えてみたいと思います。
一番大きな理由は、このカフェが私の人生初のアルバイト先で、一人前になるまでにとても苦労したからです。最初に書きましたが入りたての頃は、オープンキッチンスタイルの業務の大変さに何度も挫折しかけました。お客様に気を取られすぎて蓋を開けたままミキサーを回してしまったり(中身が周囲に飛び散って大惨事)、商品を速く提供しようと急ぐあまり床にジュースをぶちまけてしまったり。何もかもが初めての体験で焦りまくって、ありえない失敗ばかりしていました。
さらに、私は自分がとてもとても不器用なことをここで思い知りました。
なんといっても、ラテアートの一番簡単な絵を描けるようになるまで1年かかりました。通常は半年もしないうちに簡単なものはできるようになります。ただ、自分が好きなお店に来る人のためなら「できることはなんでもしよう」という気持ちだけは強くて、“気づいて動ける”人間になれるよう努力してきました。
3歳くらいの男の子と赤ちゃんを連れたお母様が注文を何にするか悩んでいた際、男の子が泣き出してしまったことがありました。
お子さんをあやしながら「パッと飲めるものをください」と注文されるお母様を見て、何かできることはないかと思い、普通はグラスに入れて出すところを透明のプラスチックカップに変更し、パンダの絵を描いてお渡ししました。最初は、「泣きじゃくるからすぐに帰ろう」というご様子でしたが、不格好なパンダの絵を見てお子さんも笑いだし、店内で過ごしていただくことができました。今でも、男の子のうれしそうな顔と、お母様から頂いた「おかげさまでゆっくり過ごせました。いい場所ですね」という言葉を大切に覚えています。
何度も何度も叱られた私でしたが、このように、自分の接客がお客様の思い出になるサービス業が大好きで、「辞めよう」とは思いませんでした。
働いているうちに仕事の速さも質も上がっていき、店舗の代表としてイベント出店スタッフに指名されたり、店舗営業とは別の仕事(台湾茶を導入することになり、現地の方と店舗スタッフで合同研修を行った際、技術指導や機材に関する打ち合わせを英語でサポートしました)を経験させていただけたりと、できることの幅が広がるようになりました。スタートで思いっきりもたついた分、「あ、成長できているな」という実感と、周囲からの信頼を得られたことが、大きなやりがいになったのだと思います。
もう一つは、「店長なしの店」を許す緩さの半面、とも言えそうですが、こちらの会社では、店舗での働き方にかなりの自由度がありました。お金がかからないことであれば本社に相談する必要がなく、気づいたことは速攻で行動に移せたのです。また、新メニューの開発などのコストがかかるアイデアでも、きちんと見積もりをして提示すれば、たいていすんなり本社から許可が出ていました。指示されたことをこなしていくだけでなく、自分で考えて行動できることは大きなモチベーションになります。こうした働き方の経験がなければ、さすがに、店長業務を自分でやってみよう、とまでは考えなかったと思います。
ありきたりな動機ですが、自由度が高くてやりがいもある仕事が好きで、一人前になるまでにとても苦労した過去があったからこそ、たとえお給料に反映されなくても人一倍仕事に積極的だったのではないか、と自己分析しています。
頑張り屋さんはなめられる?
こう書いてくると「それってやりがい搾取だよね?」と心配される方がいらっしゃるかもしれません。
それも当たっていると思います。
店をなんとかしようとどたばた走り回っていると、同い年のアルバイトに「陽って真面目だよね、なんで時給850円のアルバイトなのにそこまで頑張るの?」と言われました。私は、会社からすると勝手に頑張ってくれるとてもコスパのいい人間で、いいように使われているだけかもしれない。
私も決して天使のような性格ではないので、「○○ちゃんに任せとけばいいんじゃない? 色々やってるみたいだし(笑)」と言われて「あれ、嫌み?」と感じたり、台湾研修の資料を作っていたら、系列店舗で働く社員さんに「あ、うちの店舗もほしいから今日までに作って送って!」と押し付けられたり、なんだかなあと思うことはそれなりにありました。
学生バイトスタッフが変わり始めた!
自分の働き方はこれでいいのか、もしや、私はなめられているのでしょうか?
と疑問を持ち始めていたときに、こんなことが起こりました。
冷蔵庫の中の卵の賞味期限が切れそうだ、と気づいたアルバイトが、「この卵は早く火を通して使っちゃったほうがいいと思う。期間限定でマフィンにしていいかな?」と私に聞いてきたのです。
「うん、もちろん! ありがとう、よろしくお願いね」と答えながら、そこで初めて、アルバイトのみんなの働き方が変わってきていることに気がつきました。「賞味期限間近の食材をリストアップしなきゃと思っていたのに、先に自分からカウントしてくれているから卵のことが分かったんだ! あっ、そういえば、看板を夏仕様に描き換えてほしいってまだ頼んでないのに、もう絵柄が夏になっている!」と勝手に感動してしまう私。
ちょうどその時期くらいから、アルバイトのみんなが私のことをふざけてキャプテンと呼ぶようになりました。私は皆のリーダーになりたかったわけではないのですが、もしかしたら、私の気持ちが伝わったのかな、と思い「まあいいじゃん、時給850円でも」と、自分の働き方を肯定できるようになりました。
それからは、新メニューや店内装飾のアイデアは基本、全員で考えるようになり、シフトが入っていない日にお店に遊びに来るアルバイトもたくさん出てきて、すごくうれしかったのを覚えています。徐々にアルバイトの一体感が強くなっていきました。
いい話に塩味を足しますと、一体感が強くなったことには、別の理由もありました。本社の対応です。
本社は基本的に、「問題を起こさないでなるべくお金をかけないでくれれば何をしてもいいよ」というスタンスでした。ですので、お金の管理、クレーム対応以外はほとんど関わりがありませんでした。管轄の支配人は、店を毎日見に来てくれる方もいれば、全く来ない方もいました。いずれにしても、自由度の高い職場を提供してくださったことは確かです。
しかし、本社と店舗の連携がうまくいかないことは何度もありました。
例えば、私の店舗はもともとコーヒーとワッフルをメインとしたカフェだったのですが、途中でまさかまさかのタピオカが主力の店になりました(コーヒーとワッフルは辛うじて生き残りました)。そして1年もたたないうちに「今使っているタピオカが全てなくなったらタピオカ事業をやめる」という指示が。大規模に改装した店の内外装や設備はそのまま放置されました。
店舗で働く私たちが「なんだか、ずいぶんいいかげんじゃない?」と思ったことも、分かっていただけるのではないでしょうか。この“本社との微妙な距離感”が、「私たちがこの店を守っていくんだ(=だって私たちしか本気で守る人間はいないんだから)」と、アルバイトの一体感を高めたところもあると思います。
社会ってやっぱりこんなもん?
仕事はお給料が全てじゃないんだ!
これからも信念を持ってお仕事を頑張ります!
とカッコよく締めたかったのですが……。
ある日突然、バイト先の連絡用のLINEに社員さんからこんなメッセージが送られてきました。
正直、こんなにあっさりしたお知らせなんだ……と笑えてきました。
聞きたいことは山ほどあってもおかしくないのですが、一周回って「社会ってこんなもんなのかな?」とも思い、色々と聞くのはやめました。私たちの雇用はどうなる、ってアルバイトだしな……。不思議なことに、全9人の学生アルバイトのうち誰一人として、詳しい説明は求めませんでした。
こちらは2021年12月末のLINEです。誰も何も言わなかったからなのか、しれっと1カ月閉店を早めてきましたね^-^
結局、私たちが働いていたカフェは2022年1月末で閉店しました。本音を言えば、これからもずっと続いてほしいお店でしたし、自分がそうしてもらったように後輩にバトンを渡したかったです。
期待された収益が上がらなければ、現場が一生懸命だろうが頓挫する。働いている身からは理不尽に思えるようなことは、実は社会では日常茶飯事なのかもしれません。そう思うと、ここまで何の不安もなく育ててくれた両親には、改めて本当に感謝したいです。
頑張っても報われなければ、普通は人は去っていく
最終的には「頑張ったけど潰れちゃった」というオチになってしまいましたが、実のところ、自分は「損をした」とは思いません。労働に見合う収入、という意味では大失敗だったかもしれませんが、マニュアル通りではない経験をすることができた価値は、バイト代では測れません。
例えば、私たちの店舗ではコロナの影響で断続的に「人件費削減対策」を求められたため、午前・午後それぞれ1人でお店を回さなければならなくなりました。そこで、作り置きできるメニューを増やしたり、あまり売れ行きの良くない商品を取りやめたりして業務の効率化を図りました。指示されたことをこなしていたときは、こういった「日常業務をどう省略するか」を考えたことはなかったし、なかなかできない経験だと思います。「自分で考えて実行する」を繰り返せたことは、きっといつか自分の武器になると信じています。
もう一つ得たものは、「矛盾に気づけば、頑張る人だって去っていく」という気付きです。
こんなことを私が言うのも失礼ですが、歴代の店長は本当に頑張り屋さんでした。そんな先輩からバトンをもらったからこそ、私も熱心に働くことができました。
しかし、妊娠された元店長も、歴代最後の店長も雇用条件に不満をもって退職されました。現在、お一方は近くで新しいカフェをオープンして私たちの競合店となり、もうお一人は保険会社の営業社員として着実にキャリアを積まれているそうです。
私がこの状況で働けたのは、そもそも、「大学生」という、背負うものがほとんどない状況だったからです。「やりがい」を搾取しようとすれば、能力のある人は逃げていく。
言い方を変えますと、大学生でなければ、こんな“チャレンジングな”環境で働こう、挑戦してみよう、とは思えなかったと思います。いつか、社会に出てから「あの経験はここで生きるのか!」と答え合わせができるんじゃないかな、と楽しみにしています。
「頑張る人は損なのか」という疑問に対する私の答えは、「お給料だけなら損。他に手に入るものがあるなら、必ずしもそうでもない」。背負うものが少ないうちは、損に見えることをやってみるのも面白いんじゃないか、そういうことになりそうです。
何より、他者と協働することの難しさ、かみ合ったときの力強さを痛感できたことが大きいです。在庫管理一つとっても、50品以上ある食材を1人でやるのと、皆で手分けしてやるのとでは負担が大きく変わります。「自分1人でこんなに働いて、ばかみたいだ」と思っていた私が、「やってよかった」と心から思えたのは、他のスタッフが同じ方向を向いて歩幅を合わせてくれたからだと感じています。
愛しのお店の最後の日
社員さんが気を遣ってくださったのか、店舗営業最終日にシフトに入ることができました。最終日にかけて本当にたくさんのお客様にご来店いただき、「さみしくなる」「すごく好きだった」とお声掛けいただき、自分の想像以上に愛されていたお店を改めていとおしく思いました。
驚いたことに、学生アルバイト9人全員が、最終日に店舗に来てくれました。意図せず全員集結して笑っている皆を見て、本当にすてきなバイト先で働けたことに感謝しました。それと同時に、私がもう少し努力していればまだお店は続いていたのかな、と、うぬぼれたことも考えました。
私は卒業後、観光サービス系の会社に就職します。次のステージでも一生懸命に努力して、様々な経験をして、頑張り屋さんの自分でいたいです。そして、次こそ自分の大好きな場所を守ることができるように、強い社会人になりたいです。
拙い文章でしたがここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
皆様のご経験やお考えをお聞かせいただければ幸いです。
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