米電気自動車(EV)メーカー、テスラのイーロン・マスクCEO(最高経営責任者)が約1兆2000億円の成果報酬を手にする権利を獲得した。4月26日に公表した2021年1~3月期決算が好調だったためだ。もはや庶民ならずとも、使い道を想像できない金額である。
日本最大の企業、トヨタ自動車の豊田章男社長が受け取っている報酬であっても、マスク氏に比べれば何ともつつましい。20年3月期の報酬は4億4900万円と、マスク氏が今回権利を獲得した金額の2670分の1である。豊田氏はこれから2670年先の西暦4691年ごろまで働き続けなければ、マスク氏と同額の報酬を稼ぎ出せない。
卓越した個人にめまいがするほどの報酬を与えて、イノベーションを促すのが米国の流儀だ。一方で副作用として著しい経済格差が社会をむしばむ。
日本はこのままずるずると「失われた40年」を迎えないために、今後どのような社会モデルを目指すべきか。善しあし両面を持つ米国社会をベンチマークとしつつ、日本に適した社会モデルを検討していく。それは「日本人らしさ」を探求する作業でもある。
本コラム「ニッポンの極論!激論!」ではこれまで正反対の論陣を張る2人のインタビューを対比させてきた。今回はいつもとは趣向を変え、経済学者の森口千晶・一橋大学教授に、若手起業家のホープ、ユーグレナの出雲充社長を交えて、通常の記事スタイルでお届けする。
カイゼン活動では変革起こせぬ
森口氏は「トヨタ生産方式に、日本らしさが表れている」と主張する。カイゼン活動に代表される、生産現場が一丸となったチームワークにより、トヨタは極めて高い品質を達成し、世界的な自動車メーカーに成長した。
対照的に米国の自動車産業は、一握りの卓越したイノベーターが成長の原動力となってきた。初期の代表的なイノベーターが、20世紀初頭にライン生産方式を編み出した、米フォード・モーター創業者のヘンリー・フォードである。大衆車の時代を切り開き、産業史に名を残した。
現代の米自動車業界のイノベーターは、EVの時代を切り開いているマスク氏だろう。現場のカイゼン活動がいかに優れていようと、自動車の電動化という100年に1度の大変革は主導できない。必要なのは上意下達で夢を形にできる、たった一人の強烈なイノベーターだ。テスラは2020年7月に時価総額でトヨタを抜き、今では2倍以上の差をつけている。
米国にはテスラ以外にも、時価総額が巨大な企業はたくさん存在する。世界の時価総額ランキングで上位に並ぶのは、アルファベット(グーグルの親会社)やアップルなど「GAFA」と総称される4社に、マイクロソフト(MS)を加えた米国のIT企業5社だ。その合計時価総額は、東証1部全銘柄の約700兆円を上回る約870兆円。1部上場企業約2200社が束になっても米5社にかなわない。
森口氏は、「日本は現場にいる99%のチームワークを引き続き成長のよりどころとするのか、それとも1%の傑出した才能を成長の源泉にするのか考えるべき時機に来ているのではないか」と指摘する。
トップ1%を成長の源泉にするのに必要なのは、マスク氏のような突出したイノベーターが巨万の富を得ることを認める社会だろう。森口氏いわく「積極的に経済格差を容認してきたのが米国である」。頑張れば大富豪になれる「アメリカンドリーム」を若者たちに見せ、アニマルスピリット(血気)に火を付けてきた。
チャンスの国、米国には世界中から若き才能が集まる。
マスク氏も若いころ、南アフリカから米国に渡ってきた。MSのサティア・ナデラCEOや、アルファベットとグーグルのCEOを兼務するスンダー・ピチャイ氏はインド出身だ。ナデラ氏が20年6月期に得た報酬は約47億円に上る。ピチャイ氏が20~22年に受け取る報酬は、業績次第では約260億円に達する見通しだ。
うちの社長の報酬は米CEOの8分の1
もちろんビジネスで大志を抱く動機は金銭欲だけではない。とはいえ、ビジネスで成功しても莫大な報酬を手にしにくい日本に、世界的な大企業が少ないのも事実である。時価総額の世界ランキングで300位以内に入っている日本企業は16社しかない。143社もランクインしている米国の足元にも及ばない。
経営者の報酬も米国の水準と乖離(かいり)している。武田薬品工業がクリストフ・ウェバー社長に対して20年3月期に20億7300万円を支払うなど、例外はあるが、産業界全体ではまだまだだ。日本で売上高1兆円以上の企業に勤めるCEOたちの報酬の中央値は1億9000万円と、同じ規模の米国企業に勤めるCEOの8分の1にとどまる(米ウイリス・タワーズワトソン調べ)。
経営トップを含め、卓越した人材に対しそれなりの金額で報いないと、世界中から有能な人材を呼び寄せられないだけでなく、日本から頭脳が流出してしまう。
流出したイノベーターの一人が、青色発光ダイオードの発明で14年にノーベル物理学賞を共同受賞した米カリフォルニア大学の中村修二教授だ。発明当時に勤務していた日亜化学工業から受け取った、主要な特許の1つに関する対価が当初わずか2万円だったことから、国際学会などで大いに同情された。そんな「不遇」の中村氏に手を差し伸べたのが米国の企業や大学だった。多数の採用オファーが舞い込み、結局、中村氏は渡米してしまう。
中村氏は米国に渡ってから「発明の対価」を求めて日亜化学を提訴。一審では200億円の支払いが認められ、最終的に8億円余りで和解した。日亜化学が最初から億単位の対価で報いていれば、頭脳流出を避けられたかもしれない。
こうして見るとテスラやGAFA、MSが米国で生まれたのは、必然だったとも言える。
「日本にGAFAがない」と嘆くぐらいなら
バイオベンチャー、ユーグレナの出雲社長は、よく経済界や政府の関係者から、「米国はうらやましい。日本にもGAFAのような会社があったらいいのに。出雲さんも頑張って」と激励されるそうだ。
政府の関係者が本気でそう願うのなら、規制緩和に取り組むだけでなく、富裕層の税負担を米国並みに減らして、積極的に格差を容認してみてはどうだろう。米国は1980年代のレーガン政権時代に大胆な規制緩和と富裕層への減税を実行して、今の繁栄がある。
経済界の関係者も、「なぜ日本からGAFAが生まれないのか」と悩む前に、米国並みの報酬制度を導入すればよいのではないか。それができていないのは、質素を美徳とする世間の目を気にしているのが一因だろう。
「ここは日本だ。報酬には国民がある程度納得いただける相場観がある」と記者会見で言ったのは、世耕弘成・元経産相だ。
2018年当時、安倍内閣で経産相を務めていた世耕氏は政府系ファンド、産業革新投資機構(JIC)と対立。JICは世界的な人材を獲得できるよう、1億円を超える報酬制度を準備していた。これを世耕氏が「国民に納得いただけない」と一蹴し、設立間もないJICは大混乱に陥った。
日本の平等意識にゴーン氏も悩まされた?
日産自動車のカルロス・ゴーン元会長もまた、高額報酬を快く思わない日本社会の空気を読んだ一人かもしれない。日本では上場企業に対し、10年3月期から1億円以上の報酬を受け取っている役員の氏名・金額の公表が義務づけられた。これをきっかけにゴーン氏は10億円を超えていた役員報酬の過少報告に手を染めたと、同氏を起訴した検察はみている。ゴーン氏だけではない。世間や従業員、株主からの批判をかわすために当時、役員報酬を減らす仕組み作りに奔走した日本の経営者は多数いたとされている。
「和をもって貴しとなす」という格言が示す通り、日本人は和を乱すような突出した高所得者が苦手なのかもしれない。であれば、才能ある個人に巨額の報酬を与えてイノベーションを促す米国スタイルは日本になじまない。そのことを示唆する興味深い調査がある。
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