擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

窪田新之助『対馬の海に沈む』を読んで

話題のノンフィクション、窪田新之助『対馬の海に沈む』(集英社、2024年)を読み終えた。評判に違わぬ傑作だと思う。

対馬の海に没したJA職員による巨額の汚職事件がテーマ。良からぬ出来心を抱いた一職員による事件などではなく、この事件の背後には巨大な闇があることを著者は解き明かしていく。

本書についてはすでにいろいろな人が語っているので、ここでは本筋から少し離れた話をしたい。本書の「主人公」であるJA職員には収集癖があり、高級時計や自動車などのほか、漫画『ワンピース』のフィギュアを収集していたという。『ワンピース』は海賊船の船長ルフィとその一味の活躍を描いた作品だ。

件のJA職員は、フィギュアを集めるのみならず、自身も「一味」をつくり、そのメンバーは大切にする一方、歯向かう人間を容赦なく排除していったとされる。

『ワンピース』については、10年以上前にこのブログに書いたことがある。

当時の感想として、主人公ルフィは仲間をとても大切にする一方、自分の目の届かないとこにある「正しさ」には全く無関心なキャラクターだと思えた。彼にとって重要なのは、あくまで目の前にある状況だけであって、いわば「半径5メートル以内の正しさ」だけが問題なのだと。

もっとも、原作の50巻を過ぎたあたりで追いかけるのを断念したので、そこから先の展開は分からない。

ともあれ、件のJA職員の行動原理は、この描写に綺麗にはまるように思う。彼にとって重要なのは家族と「一味」なのであって、その外部にあるルールなどは攻略し、利用するための対象でしかない。

しかし、ここでもう少し考えたいのは、そのルールを作っているのはいったい誰なのかということだ。ここで思い出すのが、社会学者の藤田弘夫の著作『都市の論理』(中公新書、1993年)の以下のような指摘だ(pp.167-168)。

農民といえども、その生活の大部分を秩序づけているのは、実は都市のルールである。農民の日々の生活は以前に受け入れた都市のルールに沿って営まれているのである。しかし農民はやっとのことで都市のルールを定着させたかと思えば、すぐまた別のルールが都市からやってきた。(中略)

都会人が<革新性>や<開放性>を示すのに対して、農民が<保守性>や<閉鎖性>を示す理由がここにある。しかもそのルールが農民を対象とするものであったとしても、それが都市で生み出されているものである以上、都市の利害が巧妙に滑り込んでいた。

詳細は『対馬の…』をぜひ読んでもらいたいところだが、一人のJA職員がこれほどの汚職を引き起こすことができた背景には、東京都千代田区に位置するJA共済連の全国本部が設定し、都道府県本部を通じて各地のJAに割り振られる「ノルマ」の存在があったという。この「ノルマ」が彼の巨大な力の源泉になっていたというのだ。

実際、本書の著者である窪田の記述の端々から垣間見えるのは、汚職事件の責任を一人のJA職員に押し付けて幕引きを図ろうとする組織原理、さらにはJAグループという巨大な組織が抱える歪みに対する怒りだ。

前掲の藤田の言葉を借りるなら、件の職員は「都市のルール」を巧みに利用し、そこから得られた富を自らの家族と「一味」に分け与える海賊船の船長だった。そして、それが破綻したとき、悪魔の実を食べた彼は、海に沈むしかなかった。

本書は一方において閉鎖的な「ムラ社会」の怖さを描き出している一方、そこで本当に問われているのは、東京を中心とした集権的な支配構造にあるのではないか。そしてそれは、JAグループに留まらず、日本社会全体を覆う問題でもあるように思う。