百年文庫(52)
第52巻は「婚」(久米正雄「求婚者の話」 ジョイス・安藤一郎訳「下宿屋」 ラードナー・加島祥造訳「アリバイ・アイク」)
<単刀直入を身上とする「鈴木君」は、道行く洋傘の女性に一目惚れし、30分後には結婚の約束を取り付けた。がむしゃらに夢を央男の生き様をユーモラスに描いた「求婚者の話」。下宿屋の娘と関係を持ってしまった青年が宿の「マダム」の術中にはまり、次第に追い詰められていく「下宿屋」。言い訳ばかりしている野球選手「アイク」に美しい恋人ができ、試合でも大活躍!「アリバイ・アイク」。結婚をめぐる珍騒動、おかしくて胸を打つ物語。>
「求婚者の話」は、一目ぼれした女性に出合って30分後にその女性の家に行き、父親に結婚を申し込んで思いがけず承諾してもらった男が、自分の娘に一目ぼれして、かつての男がそうであったように、ひとりの青年が結婚の申し込みにくるが…。
<一人位はいいのです。僕だからいいのです。そう無暗に何人にも許されることではありません。君は僕がこんな遣り方をしたから、他人も、そう云う遣り方を許すだろうと考えるかもしれませんがそれは大間違いです。私の摸倣をしたところで、私は一向嬉しく感じません。寧ろ不快です。自分の戯画を見せられるような気がします。(中略)
そしてこの人生に於いては、少なくとも自分の個性というものを持っている限り、飽くまで自分の生き方を肯定するけれども、それと同時に他人は自分と異なった生き方をしてくれるようにと望むものだと云う事をお知りなさい。左様なら>
ここには著者の作家としての姿勢が重なってみえる。
「下宿屋」の著者ジェームス・ジョイスと言えば「ユリシーズ」が有名で、読んだことが無くても多くの人が知っている作家だ。私は二十代の初め、「これぐらいは読んでおかなければ」とチャレンジしてみたが、最初の数ページで挫折してしまった。多分今読んでも結果は同じような気がする。だが、本作は至ってシンプルな「人情小説」だ。
<ジョイスの青春期は、1900年のフロイト「夢判断」出版に始まり、つぎつぎに新しい人間像が示された時代でもあった。大陸の文学思想を早くから学び、その限界を突破しようとしたジョイスの試みは、「意識の流れ」と呼ばれる手法や極限の散文表現「ユリシーズ」に結実し、川端康成が「文学のための新しい宇宙の創造」と絶賛したように世界の文学に大きな影響を与えた。(人と作品)>
「アリバイ・アイク」の「アリバイ」は言い訳のこと。良くも悪くも言い訳ばかりしているアイクの、言い訳が誤解を生む恋愛の顛末をユーモラスに描いていて、楽しめる。こういうのを「ゴシップ小説」というのかもしれない。
<著者略歴
久米正雄 くめまさお 1891-1952
長野県に生まれる。一高・東大で菊池寛、芥川龍之介らと出会い、同人誌で競い合う。学生時代に戯曲『牛乳屋の兄弟』が話題になる。師・夏目漱石の娘に恋心を寄せたが叶わず、失恋を題材にした『蛍草』が評判を呼んだ。代表作に『受験生の手記』『虎』など。
ジョイス James Joyce 1882-1941
アイルランドの首都、ダブリン生まれ。大学卒業後、散歩の途中で知り合った ノラ・バークナルと恋に落ち、大陸へ渡った。今では20世紀を代表する傑作とされる『ダブリン市民』や『ユリシーズ』だが出版まではトラブル続きで困難を極めた。
ラードナー Ring Lardner 1885-1933
アメリカ・ミシガン州に生まれた。スポーツ記者として全米に名を馳せ、臨場感と人間観察にすぐれた記事はヘミングウェイら多くの愛読者をもった。「野球もの」をはじめ優れた短篇を残し、ヴァージニア・ウルフなどが高く評価した。