本歌どり?
短歌を始めて間もない頃、すべては模倣から始まるとばかりに結構真似して創った時期がある。何だ、真似(模倣)と言うより剽窃ではないかと言われると、はい、その通りですというしかない代物だが、私だって反省はする。反省はするけれども、それが次の作品に反映されるかというとこれはまた別の問題で、そこにはセンスというものが微妙に影響してくる。ここで断わっておくと、私は自分のことをセンスがないほうだとは思っていない。あると言い切るほどの自信はないが、まあまあにセンスはあると思い込んでいる。そんなわけで、試しに真似して創った短歌を古い順番に並べてみる。(ここに掲げた以外にたくさん創っているが、自分でまあまあのできだと思うものを選んでみた)
並べてみるだけで、それがどうなのと聞かれれば、別にと答えるしかないのだが。
無所有は簡単そうで難しいと言うが所有はなお難しい
なにゆえに愛は無償でならぬかとわが心中の欲をみまはす
今日はデモ寝ないで描いた赤ヘルの「ニャロメ・おまわり」肩組みており
ぼくのズックの靴先で銀杏(ぎんなん)が転がってるって ああ いい朝だ
躁鬱の「そう」のはじまりトーストのバター塗る手はヴィヴァルディの四季
< (本歌 順番に)
イヌネコと蔑して言ふがイヌネコは一切無所有の生を完うす(奥村 晃作)
なにゆえに室は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まはす(前川佐美雄)
ヘルメット灰皿にしている君の部屋「反帝・反スタ」逆さに泣いている(道浦母都子)
ぼくのサングラスの上で樹や雲が動いてるって うん、いい夏だ(加藤治郎)
躁鬱の「うつ」のはじまり出勤の電車いっぽんまずやり過ごし (小高 賢)>
今ではマネする元気もなくなってきているのだけれど。
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