中国の軍備拡大、北朝鮮の核開発、ロシアのウクライナ侵略――。日本の安全保障環境は風雲急を告げています。ともに1982年生まれの気鋭の軍事研究者、小泉悠さんと山口亮さんが、今から10年後、2030年代の戦争を見通す『2030年の戦争』(日経プレミアシリーズ)。本書からの抜粋第1回は、戦争の定義と戦争の変化について。戦争を「war」だけでなく「conflict」も含むものと広義にとらえるならば、日本も戦争の一歩手前に入ってきているのかもしれません。

世界はconflictだらけ

山口亮さん(以下、山口) 今の戦争は分かりにくくなっています。それは何かといえば、古典的な殴り合いの戦い以外に、見えにくい、またははっきりしない戦いがあることです。1つはサイバー攻撃や認知戦、もう1つはグレーゾーン事態です。要するに完全な有事ではないものの、じわじわと相手を懐柔したり弱らせたりして現状を変更し、次のステップとして攻撃が行われるものです。

 安全保障や防衛のことを考えると、どうしても有事か平時か、戦争か平和かと白黒をつけたくなります。でも、その白黒の間にはグラデーションがあり、今はグレーの部分が大きくなっていると思います。

 英語で言えば、「war」は完全に殴り合いの戦争です。でも「conflict」はお互いの意見、考えが一致してない状態なので、そう考えれば、現代の世界はどこもconflictだらけですね。また、「戦争」は、武力交戦に限られるものではありません。日本は平和と言いますが、戦争というものを広く定義すれば、すぐ近くではすでに戦争は起きていると言えます。

「日本も戦争の一歩手前にいます」と話す山口亮さん
「日本も戦争の一歩手前にいます」と話す山口亮さん
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 実際、朝鮮半島は休戦中ですが、戦争は継続していることになっているし、緊張がかなり高まっている。台湾と中国もハイブリッド合戦の最中で、戦争状態と言えなくもない。

 日本に対してもさまざまなハイブリッド的な攻撃が来ています。なので、日本もいくつかのconflictの中にいる。戦争をどう定義するかによりますが、日本も戦争の一歩手前というか、戦争の初期段階に入ってきているんじゃないかとも思います。

「戦争ができなくなった」後の戦争とは

小泉悠さん(以下、小泉) このことは、本書の大事なテーマの1つです。山口さんのご指摘の通り、私たちは古典的な戦争にだけ備えていればいいわけではない。

 『戦争論』を書いた軍事学者カール・フォン・クラウゼヴィッツに言わせれば、戦争とは基本的に暴力の戦いであり、暴力で勝ったほうが自らの意志を強要できる。逆に言えば敗北とは自由意思を奪われることだから、そうならないように相手を上回る暴力を行使しないといけなくなり、こうして暴力は無限にエスカレートする。このような考えに基づいてクラウゼヴィッツは「絶対戦争」という概念を提起しましたが、その行き着く果ては第2次世界大戦でした。

 第1次世界大戦では、戦争による死者が1000万人単位に達しました。第2次世界大戦で再び1000万人単位の人が亡くなり、しかも今度は核兵器が登場しました。

 これは歴史の大きな分かれ目だったと思います。次にやってくるであろう第3次世界大戦は、もはやクラウゼヴィッツの言うような政治目的を追求するための暴力闘争なのかどうかが疑わしくなってくるからです。人類が破滅するような暴力行使というのは、果たして古典的な意味で言う「戦争」なのか? 核兵器は戦争の道具としての「兵器」なのか? ただの人類自殺装置ではないのか?

 例えば米国の戦略家ジョージ・ケナンは、1947年の時点で「もう戦争はできない」と見抜いていました。モスクワに赴任していた彼は「長文電報」を打って、トルーマン・ドクトリンに大きな影響を与えました。その後、米国に帰国した彼が軍の大学で行った講義の講義録には、『戦争以外の手段』(邦訳なし)というタイトルがつけられました。

 核兵器が登場すれば、大国間の戦争は不可能になる。しかしソ連の共産主義との闘争がなくなるわけではないから、戦争以外の方法でソ連と競争することを考えるべきだということを、早くも述べたのです。

 当時注目されていたのはテレビやラジオといった電波を使うマスメディアです。電波なら国境を超えて相手国に直接、こちらの望ましい情報を届けることができる。だから冷戦期には西側も東側も、巨額の資金をかけて宣伝放送を流し合いました。

 一方、ベトナム戦争以降には、これと違った意味で情報が威力を発揮し始めます。戦場カメラマンが戦場に入って、国家のお仕着せではない生々しい写真が報道されることで、世界中の反戦運動に火がつきました。戦闘では米国が勝っているのに、戦争に勝てなかった理由がこれです。正規軍同士での戦いでは強いイスラエルが、パレスチナの民衆やゲリラ組織に勝てなかった理由もここに求められるでしょう。

「戦争には変わった部分と変わっていない部分があり、双方を見なければなりません」と話す小泉悠さん
「戦争には変わった部分と変わっていない部分があり、双方を見なければなりません」と話す小泉悠さん
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 こうした状況を観察した米国の戦略家ウィリアム・リントは、「これからは夕方のニュースが1個機甲師団と同じ力を持つようになる」という有名な言葉を残しています。

 もう1つ、人々の側の変化についてですが、ロシア革命後にアルゼンチンに亡命したエフゲニー・メッスネルという軍人は、「世界革命」という概念を提示しています。第2次世界大戦後に民主化が進む中で、人々は国家を絶対視しなくなった。

 国家のために死ぬことは、昔は良いことだったけれど、今はそうは思われていない。また国家のために人をたくさん殺すのは、昔は当たり前だったけれど、今はそうは思われていない。こうした何百年に一度しか起きないような価値観の変化と核兵器の登場によって、クラウゼヴィッツが言う国家間の「決闘」としての戦争はやりにくくなったというのです。

戦争の変化はまだら状に

小泉 戦争の変化はまだら状に起きています。古典的な戦争ができなくなった領域があります。例えば米国とロシアの戦争はいまだにできません。おそらく米国と中国の戦争もできないと思います。核を持っている同士ですから。

 でも中国と日本の戦争はあるかもしれない。実際に、米国とロシアは戦争をしていませんが、ロシアとウクライナとの戦争は起きてしまった。

 このように20世紀以降、とりわけ第2次世界大戦の後、戦争には変わった部分と、変わっていない部分があります。日本はその両方を見なければいけません。

山口 確かに、民主化などにより、戦争に関与する国家や政府に向ける目が厳しくなりましたね。第1次、第2次世界大戦では、国家に対する批判は正面切ってありませんでしたが、ベトナム戦争では批判が高まり、大きなデモが世界中で起きました。米国では政府がひっくり返りそうなほどの政治的、社会的混乱が生じました。

 1990年代以降、ケーブルテレビやインターネットにより、私たちはメディアを選びやすくなりました。2003年のイラク戦争では、「CNNもABCもフォックスも米国のプロパガンダで信用できないから、アルジャズィーラを見る」という人が現れました。

 また、権威主義国家においては、国家がメディアやインターネットを統制していますが、VPNを用いれば規制を突破できる場合が多い。メディアの発達によって、人々の戦争や政治に対するまなざしが大きく変わりましたね。

写真/稲垣純也

日経プレミアシリーズ『 2030年の戦争
中国の軍備拡大、北朝鮮の核開発、ロシアのウクライナ侵略――。日本の安全保障環境は風雲急を告げる。現代の戦争とはどのようなものか? 2030年代、日本が戦争に巻き込まれるとしたら、どんな事態か? 実際ミサイルが飛んできたらどうする? ともに1982年生まれの気鋭の軍事研究者がディープに語り合う。

小泉悠、山口亮著/日本経済新聞出版/990円(税込み)