定年後の人生は、大抵の人が想像するより長い。会社員として働くならば、若い時期から、雇われることも難しい後半の人生を見据えて、仕事とは別に自身の専門性を磨く準備をしておいた方がいい。そして、自分が無理なく続けられる好きなことこそ、長い人生を通して役立つことが多いのだ。そうした「複線型キャリア」の勧めを、『生きづらい時代のキャリアデザインの教科書』(大垣尚司著、日本経済新聞出版)から抜粋・再構成してお届けする。
全ての人が複線型のキャリアを狙う時代
大学を出て勤めてから、60から70歳で退職するまでをキャリアだと思っていると、その後にもう一つの人生と言ってよいほど長い時間が待ち受けている。
一方、年金だけでその部分の人生を経済的に支えることは今ですら難しく、みなさんはますます難しくなると思っておいたほうがよい。
このため、少なくとも人生後半にもう一つ別のキャリアを考えねばならないが、それを、若いときのキャリアのように、一から始めるのは難しい。
若いときのキャリアは家族を支えたり、子どもを育て上げたりするために「お金」を優先せねばならないが、後半のキャリアはそういう義務からは解放される。なけなしでも年金がゼロになるわけではないし、そこまでの人生で多少なりとも蓄えもあるだろうから、後半生は「お金」を最優先させるのではなく、「やりがい」や「自分のしたいこと」、あるいは、そもそも「仕事以外の生活」を優先するべきとも言える。
この場合に、一番大切なことは、前半のキャリアが続いている間に、後半のキャリアを意識して組織人としての自分とは別の、自分自身のための準備を早めに始めることだ。
もっと言えば、前半と後半とにキャリアを二分して考えるのではなく、ライフステージごとにキャリアを切り替えたり、副業を持つことで知識や経験の幅を広げたりすることもあってよい。
このように、主たるキャリアのほかに別のキャリアやその準備を併走させることを複線型キャリアデザインという。人生100年時代には、定年のある仕事をしている全ての人にとって、複線型のキャリアデザインをすることが欠かせない。
ここから、そのためのヒントをいくつか整理しておく。
会社との付き合い方は50歳で考え直す
宮仕えをしていると、50歳前後で自分の社内における位置関係がみえてくる。仮に今後定年が延びたりなくなったりしても、60歳を超えるとそれまでの処遇が続くことは稀(まれ)で、だんだん「用済み感」を感じるようにもなる。
遅くとも50歳になったら、自分の会社で自分の「未来像」に当たりそうな60代の人がどんな感じで働いているかを冷めた目で見て、自分も同じように会社にコミットし続けるのかを考えよう。
そして、「これはいやだな」と思ったら、複線型キャリアに切り替えて、人生後半のキャリアへの準備を少しずつ始めるとよい。
もちろん、お金のことや健康状態等を考えると再雇用や出向を受け入れざるを得ないこともあると思うが、その場合、多くは、あまりワクワク感のない仕事に(下手をすると周囲の人たちの「持て余し感」をひしひし感じながら)一日の3分の1が費やされることになる。しかし、60歳を超えるとまだ元気とはいえ、体力・気力がかなり減るから、事前に準備をしておかないと結局流されてしまうことになりがちなのである。
時間の長さの体感は歳を取るごとに加速度を増してどんどん短くなるから、何となく流されてそうなるのはいかにももったいない。
OccupationとProfessionを組み合わせる
では、複線型のキャリアとしてどんなものを考えるとよいだろうか。
英語で“Job”と言えば、広く一般的に「仕事・職業」という意味だが、「職業」を意味する言葉には、それ以外に、“occupation”と“profession”という2つがある。
“occupation”という言葉は「時間を売って賃金をもらう」タイプの職業を意味している。“occupation”の動詞形は“occupy”、つまり占領するという意味だ。職業で何が占領されるのかというと、みなさんの「時間」だというわけである。みなさんが大学を出て就く職業の多くはこれだ。
これに対して、“profession”という言葉は「技能や専門性を提供して報酬をもらう」タイプの職業を意味する。古くローマ時代には、僧侶、医者、法律家の3つを指す言葉だったとされる。
日本語で「プロ」と言うと、それでお金を稼いでいる人(アマチュアの対義語)か、専門性や能力の非常に高い人というニュアンスがある。これに対し、“profession”は、より広く、時間ではなく提供したサービスや結果に対して報酬を得る仕事一般を指す。
多くの者は、前半の人生では「勤労者」として時間を売ることで安定的な収入を確保する。
勤め人だからこそ、土日は本当に休みになるし、有給休暇も取れる。病気等の場合の保障も手厚い。若いときには、組織でなければ取り組めない大きな仕事に携わることができるし、それが仮に「歯車」にすぎないとしても得がたい経験となる。
これに対して、後半の人生ではそもそも雇われることが難しくなるし、それが幸せとも言えなくなる。仮に、会社が70歳まで雇い続けてくれたとしても、相応に部下のいるポジションを経験した者にとって、定年延長や再雇用の立場で若い人と一緒に仕事をすることは必ずしも面白いことではない。
こうしてみると、後半の人生におけるキャリアは、誰かに雇われて時間を売るoccupationではなく、好きなこと、やりたいことを、マイペースでやりながら、その成果に収入が伴うような、profession的仕事を究めていくほうが達成感や充実感が得られる可能性が高い。
収入は減るだろうし、安定性も欠くが、最低限の収入は年金で確保できる。子どもが巣立てば生活費の負担は下がるし、勤めないなら生活費の安いところに移ることも考えられる。ネットの発達によって地方で仕事をすることのデメリットは急速に少なくなっているし、若者が少なく、首都圏・大都市に比べてさまざまな課題が山積する地方のほうが、ビジネスチャンスが大きいとも言える。
しかし、時間を売るoccupationなら採用されれば次の日から給料が出るが、professionは技や専門性を磨くのに時間が必要だ。こうして、「勤め人」としてのoccupationと並行してprofessionの準備を進める複線型キャリアデザインに合理性が生まれる。
自分自身のタイパに敏感であれ
みなさんが、まだ学生なら、勤め出してからの1日について、24時間から、仕事・通勤の時間と寝る時間と食事等の時間を引いてみると、社会人になってから「自分のために使える時間」がいかに少ないかが分かる。
とはいえ、考えてみると土日と祝祭日に年末年始とお盆休みを入れれば、1年365日のうち3分の1以上が休日である。さらに、一日24時間から仕事・通勤・睡眠に費やす時間を除いても数時間は残る。仮に一日1時間半確保すればそれなりのことができる。
こうした「自分自身で管理できる時間」を、遊んで気分転換するにせよ、複線型キャリアに使うにせよ、密度濃く使えば、なんとなく時間が過ぎていた学生のときよりもよほどたくさんのことができる。仕事を始めたら、自分自身のタイパ(time performance、時間対効果)に敏感になる必要があるのだ。
これを学生の立場からみると、学生の間に与えられた時間は無限と言ってよいほど長い。通常そのことに気づくのは卒業してからだが、もしこのことに在学中に気づいて、自分自身のタイパに敏感になれば、人生で最も吸収力の高い時期に驚くほどの知識や経験を詰め込むことができる。
いずれにしても、働きながら複線型キャリアのために使える時間は非常に少ない。さらに、仕事と通勤で疲れきっている。別のことを仕事だと思うとうんざりしてしまう。
このため、天職のところで述べたように、主たるキャリア以外のキャリアやその準備は自分の好きなこと(他人からみると大変に見えるが自分にとっては時間を忘れるようなこと)を選ぶ必要がある。複線型キャリアデザインはその意味で後半生に備えた自分探しでもあるのだ。
最初から、「アタリ」に出会うとは限らない。試行錯誤でずっと続けていきたい何かを見つけることも複線型キャリアを選ぶことの重要な目的である。
大垣尚司著/日本経済新聞出版/1980円(税込み)