大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

さ寝がには誰とも宿めど・・・巻第11-2780~2782

訓読 >>>

2780
紫(むらさき)の名高(なたか)の浦の靡(なび)き藻(も)の心は妹(いも)に寄りにしものを

2781
海(わた)の底 奥(おき)を深めて生(お)ふる藻(も)のもとも今こそ恋はすべなき

2782
さ寝(ぬ)がには誰(たれ)とも宿(ね)めど沖つ藻(も)の靡(なび)きし君が言(こと)待つ我(わ)れを

 

要旨 >>>

〈2780〉名高の浦に揺れ靡く藻のように、心はすっかりあの子に靡き寄っている。

〈2781〉海の奥底で深く根を下ろして生えている藻のように、根深く恋い焦がれ、今は何とも手の施しようがない。

〈2782〉寝ようと思えば誰とでも寝ましょうが、沖の藻が靡くように、いったんあなたに靡き寄ったあなたのお言葉だけをお待ちしている私です。

 

鑑賞 >>>

 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2780の「紫の」は「名高」の枕詞。高貴な名高い色の意。上3句は「寄りにし」を導く序詞。「名高の浦」は、和歌山県海南市名高の海。2781の上3句は、同音で「もとも」を導く序詞。「もとも」は、非常に、最も。「すべなき」は、どうしようもない。

 2782の「さ寝がには」の「さ」は接頭語、「がに」は程度を表す助詞。共寝するくらいのことは。「誰とも宿めど」は、誰とでも寝ようが。「沖つ藻の」は「靡く」の枕詞。「靡きし君」は、心を寄せたあなた。この歌について、斎藤茂吉は次のように言っています。「なかなか複雑している内容だが、それを事も無げに詠みおおせているのは、大体そのころの男女の会話に近いものであったためでもあろうが、それにしても吾等にはこうは自由に詠みこなすことができない」

 

 

※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について