大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

妹らがり今木の嶺に・・・巻第9-1795

訓読 >>>

妹(いも)らがり今木(いまき)の嶺(みね)に茂り立つ夫(つま)松の木は古人(ふるひと)見けむ

 

要旨 >>>

今木の嶺に茂り立つ、夫の訪れを待つという松の木は、昔のあの皇子をきっと見ていたことだろう。

 

鑑賞 >>>

 『柿本人麻呂歌集』から、「宇治若郎子(うじのわきいらつこ)の宮所(みやどころ)の歌」一首。宇治若郎子は応神天皇の皇子で、異母兄の仁徳天皇と皇位を譲り合い、宇治の宮で自殺したといいます。「宮所」は、ここは古く宮のあった跡の意。「妹らがり」の「ら」は接尾語、妹のもとへ今来るの意で「今木」の枕詞。「今木の嶺」の所在は、未詳。「夫松の木」は、夫の訪れを待つように立つ松。「古人」は、宇治若郎子をさします。「見けむ」は、見たであろう。

 

 

宇治若郎子(菟道稚郎子)

 宇治若郎子は、第15代・応神天皇の皇子で、仁徳天皇の弟にあたります。幼少の頃から書物に親しみ、百済の阿直岐、王仁などを師に迎え、典籍に通じていたといいます。応神天皇に非常に愛され、その 40年に、兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)が天皇の問いに答えて、「いまだ成人せぬ少子は最もかなし」と薦めたため、兄をおいて皇太子となりました。翌年、父天皇の崩御により即位することになったものの、彼はひたすら兄の大鷦鷯尊(仁徳天皇)を推し、このため空位 3年に及びました。皇子は苦悩の末に自殺して、仁徳天皇の即位を促したとされます。その墓所は菟道宮、宇治墓といい、京都府宇治市丸山にあります。