国家社会主義の足音

 2006年に思想的には極右だが経済政策的には左よりの政策を標榜する勢力の台頭の可能性について言及した。

○2006-10-12 20世紀の復活

それから2年以上経ったが、その可能性は無視できない程高まっていると考える。当時は、格差の拡大がその原動力では無いか、という考えで有ったが、経済が上昇基調時の格差の拡大は、恐慌に陥りつつある今から見れば、実に小さいものであった事に気付く。深刻なリセッションの時の格差の拡大は、経費カットを嘆くに止まるホワイトカラーの正社員と、今日の食事の心配をしなければならない非正規労働者という形で、より大きなものとなる。
 中南米からの帰りの飛行機の中で、久しぶりに朝日新聞を読んだ。そこには、赤旗購読者の増加に関する記事や、共産党の党勢拡大の特集が有った。共産党が支持を集めるのも無理はない。しかし、冷静に考えれば、生活に不安を感じる人々の政治的主張の受け皿は、むしろ既存政党には乏しく、共産党は消去法的に選ばれているに過ぎない、というのが実際ではないだろうか。
 労組が支持母体になっている政党は民主党であるが、民主党の本質は自民に受け入れられない人々の政治的寄り合い所帯である。政策は右か左か、小さな政府か大きな政府かという原則に基づかず、基本は改革であれば何でも良い場合が多い。従って、民主党は大きな政府を志向する左寄りの、弱者の政党であるというイメージに乏しい。公明党は、支持基盤的に受け入れられない国民の方が多いだろう。
 かつて無産政党は、資本主義が帝国主義と結び付いていたこと、及び護憲平和を旗印とすること、思想的に国際的連帯が有ったことで、どちらかというと国際協調路線であった。しかし、欧州で移民排斥をレバーに、極右思想が無産政党として伸張してきているのは注目に値する。オーストリアでは秋の総選挙で極右政党が30%の支持を集めたようだ。日本もかつてと比べると随分と右傾化が進んでいる。元来、持たざる者は誇りを傷つけられているケースが多いから、容易に誇りを持てる思想との親和性は本来高いはずである。かつての共産主義革命はインテリ達が主導した為に、国際協調路線となったが、支持層においては、むしろナショナリズムと結び付きやすい構造であろう。
 今後、金融恐慌状態は1-2年で収まるかもしれないが、欧米先進国の需要の回復は極めて遅いだろう。なぜなら、消費の主体である個人セクターのデレバレッジは、個人の年間キャッシュフローに伴ってゆっくりとしか進まないからである。そうすると、世界の需要は数年間回復しないか、或いは中進国のみ回復する、というシナリオが現実的だ。いずれにせよ、日本においていま失われつつある雇用の回復要素では無い。むしろ、リセッションはデフレや低額品シフトを促すこと、及び日本のダメージが相対的に欧米諸国よりも浅いことに起因する円高から、国内の雇用は再び海外にシフトしかねない。
 日本において幸いなことに移民問題は余り大きく無いが、失業率の高まりと、それが金融危機にせよ雇用の流出にせよ、海外に起因することで、排外主義・保護主義を掲げる無産政党が、今後受け入れられる余地は現状より大きくなるだろう。今さらナチスほど過激な存在が出てくるほど、人類は愚かだとは僕は思わないし、日本は伝統的に革命が起きにくい風土である。しかし、要は「尊皇攘夷」「所得再配分」なのね、という政策・思想を掲げる政党が勢力を伸ばす位のことは十分あり得る話であろう。また、より深刻な不況にあえぐ諸外国は、よりこういった政党が勢力を伸ばしやすい環境だ。政権がかかる勢力に阿らざるを得ない状況であれば、国際的な問題はより解決が難しくなるだろう。特に経済的に痛みを伴う環境問題などは、最もその犠牲になりやすい課題かもしれない。
 マイノリティ出身の大統領が誕生したニュースは、外国の人々の心をも癒した。しかし、白人が彼に投票した割合は43%であったのも事実である。かの国のリセッションは4年では終わらないかも知れない。その時、不況下の生活に不満を持つマジョリティたる白人の受け皿は誰なのか。少し前までネオコンが勢力を持っていた国である。ふと熱狂した人々の映像を横目に、不安がよぎった。