育成より選抜で箱根を勝った青山学院

特定人種しか勝てないマラソン

 今年の年末年始はずっと日本におりまして、年が明けて初詣も終わると、やはり見るものは箱根駅伝になるわけです。そして生暖かく見守るには、駅伝そのものというより、若者の美しい和と、その裏腹にあるチームスポーツの連帯責任の辛さに耐えられなくなったおじさま達からSNSに出てくる、「マラソン金メダルに駅伝は有害」「もはや箱根駅伝はスポーツではない」などの妄言の方が楽しめます。駅伝を廃して、賞金マラソンでも増やしたらマラソンで金メダル取れるんですかね。マラソンでなく100m競争だったら、誰も日本人が金メダル取れるとは思っていないのに、世界記録の10傑殆どをケニア人が占め、100m競争より遥かにトッププレイヤーの国籍多様性に乏しいマラソンでなぜ日本人が勝てると思うのか、真剣に問い正したい所です。マラソンはもはや、特定の人種しか勝てないスポーツ。なのにマラソンを包含する長距離競走が日本でそれなりに盛んで、それで食える人がそこそこ存在できるのは、駅伝人気あってのことでしょう。考えるならば、この駅伝ビジネスモデルを輸出し、EKIDENをもっとメジャーにして五輪種目にするにはどうしたら良いか、ということの方が遥かに有益かつ戦略的でしょう。ケニア人以外がマラソンに勝てる可能性より、日本人以外がEKIDENに盛り上がる可能性の方がずっと高いと思うわたし、会社員で不惑手前になりました。
そして箱根駅伝がスポーツでないと言ってる人は、一人で箱根駅伝以上の運動強度の「スポーツ」やってなさい。

育成より選抜で勝った駅伝

さて、その箱根駅伝、1区で華々しく出遅れ、2区の出岐くんのごぼう抜きを演出するのが楽しみだった青山学院が、彼が抜けたのに初勝利を挙げまして、その理由を解説する記事にこんなのがありました。

ここ数年、選手層の厚さには定評があった。しかし、優勝を狙った前回は5位。そこで、選手たちが目覚めた。敗因を「勝負へのこだわりが足りない」と分析し、今季のテーマを「最強へ向けての徹底」に据えた。やったことは単純だ。テレビを見ていた時間をストレッチに割き、好きなお菓子を食べることを我慢した。継続的な体幹トレーニングを取り入れ、選手の希望で疲労回復のための水風呂を新たに寮の風呂場に設置して、故障も減った。どれも他大学では当たり前でも、個々の能力に頼り、ある程度の結果が出ていたため軽視していた。「ささいなことだけど、陸上のためにこれだけやったという自負が生まれた」と、9区を走った藤川主将(4年)。

出典:「いい意味でチャラい」青学大、復路も圧倒/読売新聞

 多少は、チャラい青学生が努力見せるのかっこ悪い的に盛った話だと思います。でも、これにある程度真実があるとすれば、「テレビを見ていた時間をストレッチに」「菓子を食べることを我慢」「継続的な体幹トレーニング」「疲労回復のための水風呂」で箱根に勝てる。青山学院の遥か後ろで怒鳴りまくっていた駒澤大学と東洋大学の監督の鬼指導は一体なんだったのでしょう。何というか、ものすごく単純化すると、有能な選手集めれば、後はやる気出させて故障減らせば勝てるという事なんでしょうか。いわば選手の育成より選抜が重要。プロ野球ならファームよりスカウトが重要。トップレベルのスポーツってそういうものなのかもしれませんね。そして、自分が受けた学校教育について、選抜機能と教育機能、どちらが大きかったのか、そう考えると微妙な気がしてくる今日この頃です。一方、選手をスカウトする上で青学よりもブランド力が強いであろう早稲田大学は、ここんとこぴりっとせずに監督が交代というコントラスト。早稲田は、どちら方向を向いて再建するんでしょうね。青学に倣って形振り構わずスカウトに走るのか、そこは自然体で育成を根幹に据えるのか。スカウトに監督自身が乗り出すのであれば、その分育成の時間は減ることになります。監督がやりたい事は普通は育成でしょうから、スカウトに本腰を入れるってのは言うほど簡単な決断ではございません。勝利至上主義で無ければ、その決断は出来ないのかもしれません。
 そして、4年生の選手が少ない青学は、来年の大学駅伝三冠は結構堅そうな所ですが、ここから数年の黄金期を抜けた後どれ位強くいられるか、特にレギュラーになりにくくなった強豪校にのし上がっても、監督のスカウト能力はずっと発揮されるのか、そこも別のチャレンジとして注目して参りたいと思います。