老いてなお、子と分かり合えぬ無残

bohemian_style2006-11-27


 サラバンドという映画を1週間ちょっと前に、新しい友人と見た。プラダを着た悪魔も見たかったのだが、軒並みみんな見ていて、オトコ一人で見に行く映画でも無いので、こちらはまだ見ていない。このパターンは、ブリジット2の時にはまって、結局オトコ一人で見に行く勇気が無く、見逃してしまった。余談はさておき、サラバンドは、渋谷ユーロスペースでの単館上映で、イングマール・ベルイマンというスウェーデン人の老監督の作である。暗い映画なのは判っていたが、晩秋の氷雨が降る日には丁度良い。
 テーマは、幾つかの老人とその子(子も既に老齢だったりする)との不幸な関係と、その関係同士が織り成すスモールソサイエティの出来事を丹念に描いたもので、ひたすら長い台詞を淡々と追っていくスタイルである。絶望的な愛や、愛ゆえの憎しみなど、様々な関係が呈示されるが、基調にあるのは無理解であり、親子という深い関係に有りながら、なかなか理解し合えない姿を延々と示していた。一つ一つの台詞が86歳の監督の人生に対する洞察に満ちている。この言葉の裏には監督のどの様な体験や思いがあるのだろうと常に考えてしまう映画だった。
この映画を見て思い出したのが、トルシェの通訳だった、フローラン=ダバディである。彼はもともとプレミアの編集者で、「人生を揺るがさない映画を見ても仕方が無い」という趣旨のことを言っていた。映画通でありフランス人である彼らしい、ハリウッド娯楽映画への皮肉では無いかと思うが、僕も全く内容には同感である。別に常に暗い映画を見たいという事ではなく、楽しい中にも考えさせる映画や、考えさせないまでも印象に残って、常に意識してしまう映画ってのがある。どうせ見るなら、単に時間を楽しく過ごすだけでなく、こういう見ただけでちょびっと人生が変るような映画にしたいものである。このサラバンドは、ヤマがあってオチがあって、ああスッキリ、という終わり方ではなく、イラン映画の様にもやっとした曖昧な結論なので、見る人によってはアレルギーがあるだろうが、僕にとっては妙にドキドキする、ちょいとだけ人生が揺らいだ映画だった。ストーリー映画というより、一つ一つの台詞の内容が重く、かつ表現がシンプルで研ぎ澄まされており、映像に台詞が付いているというよりは、台詞にあわせた映像を付けた「国語エンターテイメント」の様な感じも受け、言葉を愛する僕にとっては極めてエキサイティングな体験だった。
 明日から明るく出社しようと思える映画ではないし、判りやすい映画でも無いが、何とはなしに心に残る映画である。たまにはこういうのもいい。