これだけでもう、今年は充実した一年であったと、いえますね。
前々回エントリの続編である。三浦しをんとその仲間たちによる、
「『罪と罰』を読まない」を読んで、食指が疼き、果敢にチャレンジ、
6部+エピローグからなる大長編を1日1部づつ、1週間で読了した。やたー!

とにかく、べらぼうに面白い。もちろん、連れて行ってはくれない、
読むぞと、乾坤一擲の集中力を発揮して、はじめて、スゲー面白い、となる。
千ページ以上に及ぶ物語の発端から終結まで、時間的にどの位だと思います、
何十年ですよね、普通。それが、2週間、たったの2週間なんですよ。

空間的には、それがまた、大都会の片隅のほんの一角、
日本でいえば、新宿歌舞伎町くらいのエリア、そこだけで繰り広げられるの。
この凝縮度が、物語に途轍もない密度を与えているんですね。ドストの荒業。
で、次々に登場する人物が、揃いも揃ってヘンなの、エキセントリックなの。
物語は当然、ええーっ、そんなのありーぃ、の連続、
韓流ドラマも顔色なからしめる、ハラハラドキドキの超エンタメとも評せる。

僕はずっと、主人公のラスコーリニコフは、
黒澤映画『天国と地獄』の山崎努だと思ってた。あなたも、
そう思ってたでしょ。ところが、違うんだよなあ、これが。
山崎努は、俺がこんなに貧しく惨めなのは、社会のせいだ、
この社会を支配している奴らに、復讐するのだと臍を固め、
強靭な精神と怜悧な頭脳で完全犯罪を企てる、思想的確信犯であるが。
ラスコーリニコフと来た日にゃ。
社会的なことも、一応は、くっちゃべりますけどね。
そんなの言いわけ乃至カッコづけ、ヘタレの自己欺瞞でしかない。
俺の力はこんなもんじゃない、本気出しちゃいないだけと嘯く、
今日日の青年みたい、今日的なんですよ、ラスコは。
殺人も完全犯罪にはほど遠く、行き当たりばったりで、
たまたま殺人現場に来合わせた、無辜の人までも殺してしまう。
でもヘタレでも、ヘタレだからこそか、心根は優しい青年なの。
ラスコーが犯したのは、不条理殺人と呼ぶべき性質のものであり、
三浦しをんが論じた、近松の世話物『女殺油地獄』の放蕩息子与兵衛と、
通底するものがある。
黒澤映画の登場人物のような解りやすい人間では、ないのです。
然り、『罪と罰』には、解りやすい人間など一人も登場しない。
否、一概にそうではない、ラスコの母親プリへーリヤなんて、
実に、解りやすい。ってことは、典型的人物の造型はあるが、
類型的人物は出てこないってことなのだろう。ドストの剛腕。
それで描き切るのって、ものすごーく、大変なことだと思う。
それに挑み、達し得たのが、ドストの長編第一作『罪と罰』。
あまりに面白かったので、不埒なことを考えている。
『罪と罰』を越える、ドストエフスキー山脈の最高峰、
『カラマーゾフの兄弟』へ、次は、挑んでみようかと。