TOHOシネマズ府中にて鑑賞。よかった。「言の葉の庭」のパンフレットも売ってたのでついでに買った。以下ネタバレあり。
- やはり新海誠作品は空と雲(特に夕焼け)だなと思った。
- ストーリーも「らしさ」を感じるものの、超常現象ものはあまり好みではなかった。
- 先生元気そうでなによりだった。一目見てすぐピンときたし声聞いて確信した。あれはよいファンサービスだと思う。
- また「あの花」の作画の人かよと思った。
- RADWIMPS も悪くないけど、やや「くどい」なと思った。最初 BUMP OF CHICKEN かと思った。
- 自分は新海誠作品に「めっちゃ綺麗な動くCGと切なさ」を求めているのだなと思った。アニメと物語ではなく。
おれも救いがなくてこその新海誠作品だと思うし、ファンや批評家が作家に「らしさ」を期待するのは悪いことではないけど、作家だって人間だから「成長したい、変わりたい」と思って違うことに挑戦もするだろうし、それはちゃんと汲むべきだと思う。 https://t.co/MiIkSFhN5m
— Kensuke Nagae (@kyanny) September 3, 2016
藤田直哉がいうように、災害を扱ったのはやや安直だったのでは、と思った。震災後を生きる作家として触れないわけにはいかないテーマだったのかもしれないが、大衆向けになることが決まっていた作品でそれを扱う以上、救いがある話にならざるをえなかったはずで、その結果「それをやっちゃダメなんじゃないの?」と疑問を感じさせてしまうような、予定調和にまとまってしまった。
「作家性からの脱皮」みたいな話と関係なしにただ売れたい、メジャーになりたい、ってのが動機だったとしても、それでいいじゃねーかと思うわ。「ボクはそれ求めてないから」とか言うばかりの批評家にだけウケたってねえ。
— Kensuke Nagae (@kyanny) September 4, 2016
むしろ「こじらせ男全肯定男」がストレートな欲望から目を背けず正面から向き合って売れる作品作ったぜ、ってすごくいい話だし、それでちゃんと売れて認められるって最高に救いがあるじゃん?
— Kensuke Nagae (@kyanny) September 4, 2016
まあそこで期待と裏腹に全然売れずに挫折を味わう、みたいなのも確かに大好きだけどさ、そういういつまでも殻の中に閉じこもってウジウジしてるようなのは、作り手も受け手もいずれ卒業しないとだめじゃん、と思う。
— Kensuke Nagae (@kyanny) September 4, 2016
RubyKaigi で京都に来て、初日の夜に二回目を、三日目の夜に三回目を観に行った。どちらも movix 京都で鑑賞。二回目は RADWINPS のサントラを連日聴きまくっているので、音楽のタイミングを確認したくて観た。ちゃんとサントラの曲順に流れてて、サントラってそういうものなんだろうけど驚いた。あと、特に歌の場合に、ちゃんと曲の「動き」と画面のシーンの「動き」が連動というか、意味がある感じで双方動くのも、映画の音楽ってそういうものなんだろうけど驚いた。三回目は MdN の「君の名は。」特集を呼んで作画などについていろいろ情報を得たのでそこに注目したくて観た。あと音のタイミングも改めて確認したかった。前の席の人がデカくてスクリーン中央下が頭部で隠れていてイラッとした。肌の色とか白の表現とか、ベストの色とか。「塗り」が撮影時にかわる、という話は、雑誌に載っていたような比較をみるとなるほどと思えるけど、「塗り直す前の映像の絵」がどんな風であったはずなのかを観客は知らないのだからそういう見方をするのは無理だなと気づいた。
以下、だからどうしたという感じの気付いたこと
- 三葉の中に瀧が入っているときは髪型がポニーテール(表情やしぐさ、声の縁起だけじゃなく、見てわかるアイコン的な違いもあるということか)
- 五年後に再開したとき奥寺先輩は結婚していた。エピローグで司が指輪をしていたか確認できなかったが、まぁさすがにそこは別の誰かが相手だろうか
- エピローグのイントロでサブキャラたちのその後(現在)の姿が描かれているが、全員いたか?三葉の嫌味な同級生女子が一人牛丼食ってたが、他の二人がいたかどうか。
- 三年前に 17 歳だった三葉と 17 歳の瀧が入れ替わったとすると、三葉は瀧より三歳年上。五年後に瀧が就活中なので、高2から大4までで五年、で計算は合う。大4の10月にまだ就活中で内定ゼロはリアリティあるんだろうか。三葉との再開時も、リクルートスーツの瀧に対して三葉はすでに社会人。「かたわれ時」に初めて出会ったときは瀧のほうが私服で大人びて見えたが、あれで実は同い年だった。
- エンドロールのスタッフリスト、「撮影」にも新海誠の名があった
- タイムラプス的なシーンはオープニングと、前前前世と、あともう一箇所くらいあったような気もする。一眼レフで撮った動画のようなシーン、というのは、どこか覚えてないがピントが手前から奥に向かって移動していく撮り方のシーンだろうか
かたわれ時に二人が出会うシーンはまぁいいとしても、壊滅した糸森を前に瀧のスマホの日記アプリから三葉が書いた日記が消えていくシーンは唯一この映画で気に入らない。オカルトすぎるし、あの不気味な演出でなくても、日記アプリにあったはずの三葉が書いた日記だけごっそり消えてなくなっていた、というのでもよかったのでは。そのほうが、瀧の記憶違い、すべて夢か妄想か、という心理と辻褄があうし、よりよくそれを演出できると思う。
MdN の新海誠インタビューはよかった。「前からこういう(マスにうける)作品を作りたかったか?」と、読者や観客が聞きたいであろうことをちゃんと聞いているのがよい。二回目を観たときなんとなく、オープニングの絵が他とちょっと違う?と感じたが、作画監督がそこだけ違うからだった。なるほどそういうところで違いが出るものなのか、と思った。