shelff 五ヶ月目の一冊。
多発性骨髄腫という血液のがんに罹り、余命三年と宣告されたカメラマンが書いた、家族や人生に関するエッセイ、なのかな。人間関係、家族関係に関する重たい内容と、安楽死に関する重たい内容が印象に残った。
家族とは「親子」の単位ではじまるものではなく、「夫婦」の単位からはじまるものなのだ。同性婚を含め、自分で選んだパートナーこそが、ファミリーの最小単位なのだ。(P147)
2017 年にがんになり、この本が書かれたのが 2019 年だったので、もう亡くなっているだろうかと思ったらまだ健在で、三日前にも note を更新していた。遺作のつもりで読んでいたのでちょっと意外に感じた。
取材で訪れた彼女の部屋には、真新しい電子ピアノが置いてあった。恥ずかしそうに「技術は全然なんですけど」と語る彼女に対して、ぼくはこう答えた。
「ぼくは写真のことしかわからないけど、なにかをやるときの技術って、全然たいした問題じゃないですよ。技術が上がるっていうのは、ただ『失敗の回数が減る』というだけのことですから。(P115)
生きるとは、「ありたい自分を選ぶこと」だ。 進路でも、仕事でも、就職先でも、住むところでも、パートナーでも、なにかを選びはじめたとき、その人は自分の人生を歩きはじめる。(P201)
著者の強い意志を感じる本で、主張の強すぎるところはあれど、筋が通っているところには好感が持てるというか、納得させられるし共感できる部分も少なくなかった。しかし特装版っぽい装丁は「いい話」っぽさの演出がくどくて、著者の覚悟を踏みにじっているような嫌悪感を覚えた。糸井重里・ほぼ日が絡んでいると「謝辞」に書いてあり、さもありなん、と思った。