東大女子少ない問題とそれに伴うあれこれ

 少し前に話題になったこの記事について。
日本の最高峰の大学 女子学生は5人に1人だけ - The New York Times

なぜ「5人に1人」のままなのか

 私がその「5人に1人」だったころ*1と比べて、東大の女子学生を取り巻く事情がほとんど変化していないことに落胆している。
 20年も経てば、さすがに女子学生の割合がもっと増えていてもいいはずだと思っていたが、まったく増えていない。

 そもそも日本では、4年制大学に進学する女子が少なく*2、旧帝国大学群では女子学生の比率がさらに低くなっている*3。
 東大の女子学生比率が低い問題も、基本的には、日本における女子教育の構造的な問題が反映されているのだろう。

 冒頭の記事でも指摘されているように、女性が高度な教育を受けようとすることを妨げる有形無形の抑圧が、日本には残っている。
 まずは、4年制大学に進学を希望する女子が、その希望を妨げられないようにならなくてはいけない。
 そうして裾野が広がれば、どうせなら東大を目指してみようと思う女子も増えるだろう

 おそらく今、東大を目指してみようと思える女子は、抑圧がほとんどない環境に恵まれているか、抑圧をはねのけられるほど十分に学びへ向かう準備ができている女子くらいだと思うが、そんな女子がはたしてどれくらいいるか。
 もう長らく、そんな女子は「5人に1人」で頭打ちになっているのではないか。女子や女子教育をめぐる環境がまったく変わっていないからである。

(2020年1月8日追記:「できる」女子は、東大ではなく医学部に行ってしまうとか、他道府県から東京へは出してもらえないといった場合があることも心得ている。医学部を選択するというのは、要するに「手に職」をつけた方がいいという実学志向だと思うが、個々人の事情や判断はともかく、女子が総じて実学以外の学問を選びづらい状況というのも一種の抑圧だろう。他道府県から東京へは出してもらえないことが抑圧であるのは言うまでもない(果たして大学が私学であっても、東京へは出してもらえないのかどうか、という点は気になるところではある))

いろんな女子を東大に

 もっといろんなタイプの女子たちが、ふーん東大もちょっといいかもね、と思えるようになるといい。

 たとえば、より深い学びへの漠然とした憧れはあっても、周囲の反対や揶揄、彼氏への遠慮などにすぐ心が揺らいでしまう。そんな気弱な女子。
 たとえば、なんとなくいい成績が取れてしまうし、どうせなら東大受けちゃおうかな、と思う。そんな軽いノリの女子。

 特に大仰な覚悟がなくても、ちょっとばかり不真面目でも、なんとなくここで学んでみたいかも、くらいの気持ちで、女子たちが東大を選択肢に入れてくれるようになるといいなと思う。
 東大男子たちの中には、その程度の気持ちの子がぞろぞろいる。女子だって同じくらいの気持ちでいいはずだ。

 折しも、東大校友会ニュースの最新号(2019年9月号)で「東大女子が卒業して70年」という特集が組まれていた。
 ここでは、1946年に最初の女子東大生たちを迎えた南原総長の式辞も紹介されている。

諸子がよく日本女性の美徳を失はず、しかも男子学生に立ちまじつて、いかに大学教育を修得するかは、日本女子教育の将来を卜するものとして、世の注視するところであらう。

 南原先生は尊敬しているものの、この先生にして、女子にのみ美徳も追加で要求した上で、男子に伍して学問を修めるという重圧を課していたのか、と考え込んでしまった。
 そういう時代だったのだからしかたないが、さすがにこれからの東大の先生方には、女子教育観のアップデートを期待したい。

入学した女子が落胆しないような環境を

 高度な教育を受けようという女子が増えたとしても、東大が魅力的な場所になっていなければ話にならない。

 東大は、学びの環境としては素晴らしく、十分に魅力的な場所だ。海外留学をするための資金に恵まれない学生でも、母国語で最先端の学問を身につけることができる。
 設備も書籍も一流のものが潤沢に揃っているし、とびぬけて優秀な学友や教員にも出会うことができる*4。

 しかし、女子学生が生活の大半を送る場所として魅力的かというと、素直に推せないところがある。

 冒頭で紹介した記事でも取り上げられているように、東大女子たちはキャンパスで性差別にさらされがちだ。
 数少ない女子として持ち上げられたりからかわれたりすることも、かわいげのない東大女子として敬遠されることも、東大女子たちの居心地をよくするものではない。

 もうすっかり悪名高いものになってしまったが、東大には今でも、東大女子お断りのインカレサークルがある。
 これは本当に、入学したばかりの女子たちに著しいショックを与える存在だ。

 東大を選んで入学したとたん、東大女子だけは入ってはいけない場所がある、と言われるのである。
 その場所は、東大女子でなければ入ることができる。つまり、東大生になんかならなかったらよかったのにねー、残念だねー、というメッセージをぶつけられるのだ。
 これは人格の否定に等しい。

 かつてこういう思いをしてきた女子が卒業した後、自分の娘に東大を手放しで勧める気になるだろうか。

 東京大学憲章にはこういう項目がある。

(基本的人権の尊重)
東京大学は、基本的人権を尊重し、国籍、信条、性別、障害、門地等の事由による不当な差別と抑圧を排除するとともに、すべての構成員がその個性と能力を十全に発揮しうるよう、公正な教育・研究・労働環境の整備を図る。東京大学は、男女が均等に大学運営の責任を担う共同参画の実現を図る。

 しかしこの憲章の精神がはたしてどれほど尊重されているのか疑問だ。

 つい最近も、情報学環の大澤昇平特任准教授による差別的発言が問題になったばかりである*5。
 国籍差別に関する発端のツイートは削除されたようだが、さらなる国籍差別や女性差別の投稿は続いている。*6
 このような発信をし続ける教員がいる環境では、女性のみならず、あらゆるマイノリティが安心して生活することはできない。

 東大は一刻も早く、全学を挙げて不当な差別と抑圧の撤廃に、本腰を入れて取り組んでほしいと思う。