貴重な光

ずっと雨降りだった昨日とは打って変わって、今日はいいお天気だった。
と言っても、一日の大部分は職場の執務室内で過ごすわけだが。

 

1時間の貴重な昼休みに外に出たら、日差しが強くて暑いくらいだった。
今のうちにと日光浴をしておいた。

 

散歩ついでに書店に寄って、子供が聞いているNHKラジオ英語講座の12月号テキストを買った。
昨日の帰り道、自宅近くの書店に寄ったら、「基礎英語1」のテキストはかろうじて1冊残っていたものの、「基礎英語2」のテキストは売り切れだったのだ。
こんなことはあまりなかったので、ちょっと驚いた。
ラジオ英語講座の人気が出ているのか。単に、自宅近くの書店で仕入れるテキストが減っただけなのか。

 

いずれにしても、子供は4月から12月の今日まで、まじめに基礎英語1と2を聞き続けていて、とても偉い。
学校でも毎日英語の授業があるせいか、このところ、ちょっとした英文がポロポロと口をついて出てくるようになっていて感心している。


私自身も中学校に入ってから英語の勉強を始めたクチだが、ラジオ英語講座には本当にお世話になった。
継続は力なり。子供も聞き続けてほしいと思う。

 

最近は、大学入学共通テストへの民間英語試験導入問題をきっかけに、英語教育についての議論がかまびすしい。
外国語の習得は、とにかく学習時間をしっかり確保することが重要だから、子供たちの英語力を上げるためには、カリキュラムの見直しを避けて通ることはできないはずだ。

 

中国語等の他の外国語は切り捨てて、英語教育に注力するのか。
英語教育に今以上の時間をかけるなら、どの教科の時間を減らすのか。
減らされた他教科についても十分な学習内容を確保することを求めるなら、教科を横断した学習内容の見直しが必要ではないのか。

 

本来ならば、かなりドラスティックな教育カリキュラムの再編と決断に、腰を据えて取り組む必要があるはずだと思う。
しかし、高大接続も含めて、現在進められている教育/入試改革は、その本質的でしんどい作業から逃げているようにしか見えない。小手先で入試を変えさえすれば、後は学校の現場がなんとかしてくれるだろう、と丸投げしているだけではないか。
これは由々しきことだと思う。

 

民間英語試験導入を見送ることができたのだから、これを契機に、いま一度、教育の本来の目的に立ち戻って、本質的な議論を進めていかなくてはならないのではないか。

 

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うっかりすると気分が暗くなりがちなのは、昼間の時間が短いからということもあるけれど、この国の現在と未来が心配になるようなできごとが続くからでもある。

 

何が光は見えないものだろうか。