杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

GW記(5)~岩手を横断する~

2019å¹´05月13æ—¥ | æ—¥è¨˜

 

(「はてなブログ」に引っ越しました。該当エントリーはこちらです。)

 

 

平成の時代が終わり、新たな元号「令和」となった5月1日、天気はあいにくの小雨混じりの曇り空でした。

奥さんの実家に二晩お世話になった後、この日は岩手県を目指します。

でも高速に乗る前に、お隣の横手市増田にある「まんが美術館」にちょっと寄ってみました。

ここはこの日5月1日にリニューアルオープンという情報があり、まんが家のサイン会もあるという事であわよくばと思ったのですが、8時半に着いた時はすでに駐車場は満車の状態となっていました。

その人出もそうですが、4年ぶりに見た外観までずいぶんイメージが変わっていたのには驚きました。

(平成27年(2015年)撮影)

(令和元年(2019年)5月1日)

この列を見て中を覗くのは諦め、また夏に来た時にでもゆっくり見る事にして、一路岩手目指して秋田自動車道に向かいます。

今回は岩手県中央を横断するルートを選んだので、訪れた所は遠野観光ツァーの鉄板とも言える有名どころばかりです。

・宮沢賢治記念館

まんが美術館から92km、10時頃に着いた時はすでに駐車場は満車状態で、たまたま出る車の後に停める事が出来ましたが、いくらGWとは言えちょっと混み過ぎではないかと思いました。

そして入口に来てその理由が分かりました。

でも車の台数の割りに外の人は少なく感じましたが、実は館内が満杯だったのでした。

この時の特別展示は「猫の事務所」。特別室の壁に拡大展示していた原作を、ここで初めて読了する事が出来ました。

現代でも通じる、職場内での「いじめ」がテーマの重い作品でした。

この日はこの周辺の施設はどこも入場無料だった様で、近辺施設の駐車場はどこも満杯でした。

・カッパ淵

ここも遠野観光の定番スポット、賢治記念館からは50km弱の道のりです。

専用の無料駐車場に車を停めたら、そこから300mほどを徒歩で向かいます。

行く途中に、これから作業が始まるところのホップ畑がありましたが、こちらの缶ビールなどには「遠野産ホップ使用」などと書かれている事がありますが、そのホップはここで栽培されていたのですね。

まだ桜が残る「常堅寺」、カッパ淵はこのお寺の境内の裏手にあります。

かつてこの常堅寺を火事から救ったとされるカッパの化身、「カッパこま犬」。

カッパ淵入り口のモニュメントは愛嬌がありますね。

境内の裏を流れる小さな小川にもカッパの姿。

淵では子供達がきゅうりをエサに「かっぱ釣り」をしていて、大勢のインバウンド客がその姿をカメラに収めていました。

それにしても、今まで「カッパ淵」はてっきり池か沼だとばかり思っていましたが、小川がちょっと広くなったこんな場所だったのですね。

・遠野ふるさと村

カッパ淵から県道160号線を北上する事およそ6km、山間の中にその施設はありました。

江戸時代から明治中頃までの家屋が集められ、岩手独特の「曲がり家」の集落となっています。

映画「蜩ノ記」のロケ地になった事でも有名ですが、村内ではそれを積極的に宣伝してるという訳でもなく、あくまでここは自然博物館なのだという雰囲気を守っている様です。

おかげで、主人公の役所広司の家がどこだったのか最後まで分からずじまいとなったのですが、村内にもっと撮影資料なども展示されていれば良かったのに、ちょっと勿体ない気もします。

ピクリとも動かないので初め模型かと思いましたが、よく見ると口元モゴモゴ。まさか本物がいるとは思いませんでした。

・福泉寺

「カッパ淵」から「遠野ふるさと村」に行く途中、桜に囲まれた土塀や大きなお寺の看板があり、気になったので帰りに寄ってみました。

案内図を見てみたら境内はかなりの広さ、五重塔が目を引きます。

境内にはまだ桜が咲いてました。

大観音堂と多宝塔、多宝塔は昭和57年(1982年)に完成した比較的新しいものです。

大観音堂の中には高さ17m日本最大の木彫り観音像が鎮座されていました(撮影禁止でした)。

大観音堂から長い通路を20mほど下った所に五重塔はありました。

これも建立は平成2年(1990年)とまだ新しいものですが、その作りは本格的なものでした。

福泉寺に関しては、こちらの方のブログが詳しいです。→参照

ふるさと村でもらったガイドマップを見てみると、遠野周辺ではまだ知らない見所がたくさんあるみたいです。

ここも本来ならば、ゆっくり時間をかけて見るべき場所でしたね。

・陸前高田

福泉寺から車通りもまばらな国道340号線を南下する事50km、およそ5年ぶりに陸前高田に帰ってきました。

以前は周囲を巨大なベルトコンベアがうなりを立てていましたが、今はその姿もなく、周辺には新たな陸地と道路が出来上がり、奇跡の一本松の向こう側にも堤防が立っています。

(2014年9月撮影)

(2019年5月1日)

奇跡の一本松の対岸には巨大な橋脚、この時はこれが何か分かりませんでした。

後ほど調べてみたら、これはあのベルトコンベアの橋脚だったのですね。

(2014年)

そして、当時はベルトコンベアに目を奪われて気がつかなかった震災遺構も、今回は初めてじっくり見てみました。それは気仙中学校の校舎でした。

壁面に掲げられた幟の文面には心打つものがあります。

4年半ぶりに訪れた陸前高田は大きく変貌していました。

時刻は午後4時過ぎ、また来ようと思いつつ今回の旅最後の宿がある気仙沼に向かいます。この日の走行距離は250kmでした。



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