「木下黄太のブログ」 ジャーナリストで著述家、木下黄太のブログ。

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「福島の子供たち保養キャンプ先細り」報道で思うこと。「帰還のため」と福島県内で焼却施設着工の異様。

2015-12-02 08:47:28 | ç¦å³¶ç¬¬ä¸€åŽŸç™ºã¨æ”¾å°„能

楢葉町に廃棄物などの焼却施設を作るための着工が行われたそうです。帰還促進が謳い文句に掲げられています。

こういうことでつくづく思うのですが、日本人というのは、燃やすことによって何か不浄なものが消え去るというイメージがぬぐい難く存在して、そのことを進める実質的なメリットがないことに血道をあげる民族なのだということでしょう。

状態は喜劇的な展開を示していて、この喜劇が終わった後に、辻褄が合わなくなることは確実だろうと思います。そうした場合に、全体を通じて、更に別のところに行きたいという要求が勃興することは、ほとんど間違いなく、それは何かにすがりつくことで希望を見出しているという嘘を信じ込むことになると思います。

カルト的な人々が、いろんな意味で吸引を増すことは間違いありません。

それは、政治的な意味においては、ほぼ間違いなくファシズムの強化を意味することになります。

どう考えても、何か歯車が相当にずれている気がします。

歯車がずれている話をもうひとつ書いておきます。

さて、福島の子供達に保養キャンプが先細りという話が大新聞に出ていたそうです。

僕はこのことは当たり前の話と思います。

保養キャンプをおこなうことや参加したい人が存在はするでしょうが、それをどこまでボランティア的な対応を続けるのかということについて、僕は疑念があります。

ウクライナやベラルーシから、圧倒的に貧しい人々を海外で保養させる話は、彼らが現実的に不可能なことを可能にさせるための手助けです。

これは理解できます。

しかし、現在、国内の多くの団体が、「福島のこどもたちの保養」としておこなっているのは、二泊三日から、1週間程度の山間留学的な話が多いです。

これは、その家庭が夏休みとかに旅行するのと、何が違うのでしょうか。

福島が極端に日本の中で所得が少ないというような事情でもあれば、ボランティア保養の重要性はわかりますが、そんな経済事情は存在しません。

きちんと意識のある家庭なら、多分この程度の保養に当たるような国内での短期間の旅行はおこなうと思いますよ。
勿論、そんなゆとりはほとんどない家庭も存在するでしょうが、圧倒的多数は自力でもおこなうことはできる話です。

移住とは違うのですよ。短期間のレクリエーションに近い。

しかも、ふつうに旅行したら、家族でただ楽しめるのに、「かわいそうな福島のこども」という枠組みの中で、人と関わる話です。

子供のことをきちんと考えたら、そんな枠組みのイベント参加させるよりも、家族旅行したほうがいいに決まっています。少し考えたら、わかる話です。

最初の頃に、何か手助けをしたいとこういうことを始める感覚は理解はできます。

しかし、一度や二度やってみて、その内実が想定と大きく異なることを実感させられて、保養的なことをやめた人々も多く存在することを、僕は以前からいろんな形で聞いています。

お金が集まらなくなったから、ボランティアとして続かないという視点よりも、そもそもそれは本当に意味があることなのかという問い直しをすべきことなのです。

そうした問い直しが内在していてないことの方が、僕は問題だと感じています。

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