つなげ“希”動力-伊東勉のストラグル日記。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

石礫食らっても耐えなきゃならない局面はあります。

 仲間でいる内は様々欠点があっても補って共に頑張ろうと思えますが、そこから外れたらオセロのごとくパタパタと姿勢が変わってしまうことはありえることです。

 最近「離れた」方が理由をずらずらと並べ立てていますが、素直にのみ込めない自分がいます。新しい人権の概念があるのは承知ですが、「敵対者の行為はすべて悪く見える」的感覚の「誤認」はおろか「濫用」もあるのではと思ったり。私の体育会系かつジェネレーションギャップ的な資質でそーいう目線を持ってしまっている部分は否定しません。「古い」言われてもそれが実行し社会を形成してきた経験もあるから。

 社会活動30年ですか。30年でも大分変わりましたよ。俺が20歳時の30年前って1965年か。当時の俺の目線が、いまの20歳の目線なのかな、と。当時は通用できたことが今はNGよ、と。わかりますが飲み込めない状態のときはそれなりの感情を持ちます。

 そうでなくともこれだけ負の感情だけ叩きつけられれば意思を保てなくなることはあります。言って難ですが「世の中が簡単に変われない(故に熟議が必要になる)」ことと「団体で行動する流儀」は再認識した方がいいがな、と考えるものです。