リビングの墓石

Gさんが夜に帰宅したときのこと。
玄関から上がって洗面所に手を洗いに行く途中、リビングにいる妻にただいまと声をかけながら通り過ぎようとして、横目で見た光景に違和感を覚えた。
リビングのソファーに腰掛けた妻の、テーブルを挟んで向かい側に黒っぽい大きなものがある。
墓石だ。
なぜか我が家のリビングに墓が建っている。
妻は墓石に向かってじっとうなだれている。
何があった。
墓石の表にはGさんの家の名前が刻まれている。側面には誰かの戒名らしきものが刻まれている。
誰の墓だ。誰の。
もっと近くで見ようと廊下からリビングに足を踏み出そうとしたところ、廊下の奥のトイレから誰かが出てきた。
妻だった。ああ、おかえり。そうGさんに言った妻はいつもの妻だ。
Gさんが視線を戻すとリビングには誰もいない。墓もない。


幻にしてはいやにはっきり見えて、現実感があった。胸騒ぎがしたGさんは、すぐに人間ドックを予約した。
検査の結果、胃に腫瘍が見つかった。
その後手術と投薬でそれ以上の悪化は避けられたが、あのとき見た墓石はまさしく病気が見せた未来だったのではないか。そうGさんは語った。
ただ、リビングで見た墓石は実際のGさんの家のお墓とは色も意匠も違うものだったという。

酔っ払い

夜の十一時頃、仕事帰りのRさんが歩いていると脇のコンビニから背広姿の男がひとり出てきた。
そのままRさんの十メートルほど前方を同じ方向へ歩き始めたが、その足取りがどうも危なっかしい。歩道の上を左右へよろけながらようやく歩いているという様子だ。
どうやらかなり酔っているらしい。
夜の住宅街で車の通りはまばらだが、車道へふらふら出ていってしまっては事故の元だ。いざとなったら歩道へ引き戻すつもりで、Rさんは彼を眺めながら進んだ。
すると急に歩道の右から誰かが飛び出してきて、酔っ払いの男に勢いよくぶつかった。
そしてそのまま姿を消した。
Rさんは目を疑った。酔っぱらいにぶつかってそのまま通り過ぎていったり、来た方向へ戻っていったわけでもなく、酔っぱらいと並んで歩いているわけでもない。
酔っ払いにぶつかった瞬間にふっと消えたようにしか見えなかった。
暗くて見間違えたのかとも思ったが、どうも誰かがぶつかったのは確かなようで、酔っ払い本人も呂律の回らぬ声を発しながら周囲を見渡している。
しかし酔っていい気分のせいか、大して気にする様子もなくまた歩き始めたので、Rさんもそのまま足を動かした。
すると、また少し歩いたところで誰かが右から飛び出してきた。先程と同様に勢いよく酔っ払いにぶつかり、そしていなくなった。
まただ。どういうことだ。
酔っ払いはまたしてもきょろきょろしながら、そのまま歩いている。
Rさんはそこでひとつ気がついたことがあった。
最初に見たときよりも歩き方がしっかりしてきたな。
コンビニから出てきてすぐはヨタヨタして足取りがおぼつかなかった酔っ払いが、勢いよく誰かにぶつかられるたび、しっかり歩けるようになってきている。
ぶつかられた衝撃で酔いが覚めたのだろうか。それにしても短時間で急に覚めすぎなようにも思える。
いぶかしむRさんを尻目に、その男はずいぶんしっかりした足取りで夜の住宅街を去っていったという。

黄色と白

Rさんが以前住んでいた街には銀杏の並木道があり、Rさんは毎日そこを通って仕事に行っていた。
寒くなってくるとそこは落葉で一面が黄色に染まる。
付近の住民や清掃業者が時々落葉を片付けているようで、道路脇に落葉の山ができていることもある。それでも後から後から落ちてくるのですぐ道路は葉っぱで埋め尽くされる。Rさんはその上をサクサクと音を立てて歩いていくのがその季節の密かな楽しみだった。
ある日もRさんが落葉の上を歩いていると、前方に白っぽいものが見えた。落葉の上を滑るようにこちらに向けて移動してくる。
白くて角ばっている。魚屋などに置いてあるような発泡スチロールの箱かと思ったが、どうも表面が滑らかすぎて、蓋があるようにも見えない。
箱というよりはむしろ大きな豆腐のようだ。
あれは何だろう。
驚くことに、それがゆっくりと路上を滑ってくるのに合わせて、向こう側の落葉が一斉に引きずられている。豆腐が通った跡だけでなく、その周囲の落葉もまとめて引っ張られている。見えないブルドーザーが落葉をまとめて押しているようでもあった。
何が起きているんだ? まさか掃除ロボットか?
とりあえずスマホで撮影してみようと慌ててポケットから取り出して、視線を戻したときにはもう豆腐のようなものは影も形もない。
ただ、Rさんの数メートル先で落葉のあるところとないところの境目がきれいにできているだけだった。
呆然としながらそこを通り過ぎたRさんだったが、後になってからふと思いついたことがあった。
もしかすると、今まで誰かが落葉を片付けていたと思っていたが、その中の何度かはあの白いものがやっていたのではなかったか。運が良ければまた見られるかもしれない。
しかし、転勤で引越すまでの間にふたたび同じものを見ることはなかった。もちろん掃除ロボットがその路上で使われていたという話も聞かなかった。

供米

農家のWさんは自分の田んぼ以外に、Kさんの田んぼも請け負って耕作している。
Kさんは江戸時代から続く農家で、広い田畑を持っている。しかし本人が高齢で子供たちも農業を継ぐ気はないため、田畑のほとんどを他の農家に委託するようになっていた。
そのKさんがあるとき足を捻挫した。日常生活はなんとかなるものの、しばらく農作業が難しい。自宅の周囲の小さな水田や畑はKさん自身で世話をしていたので、完治するまでの間はそれらもWさんが面倒を見ることになった。
Kさんが自身で世話をしていた田んぼは林に挟まれた隙間のようなところで、Kさん宅からは歩いて五分程度の距離ではあるが、他の田畑とは離れたところにあった。
形も整理されておらず、歪な三角形をしている。WさんもKさんから頼まれるまでは、そこにそんな田んぼがあるとは知らなかった。
幸い、トラクターが入れるだけの広さと通路があるので農作業の手間はそこまで大きくはなかったが、どうしてこんな林の中に田んぼを作ったのかと不思議ではあった。
その田んぼでこんなことがあったという。
田植えから先はKさんが自分でできそうだというので、Wさんは耕して水を張るところまで請け負った。
トラクターで土を起こし、肥料を入れて水を入れた。水は近くの川からポンプで汲み上げている。
水を汲み上げている間は他の田んぼに行って作業をして、そろそろかなと思って戻ってみるとちょうどいい具合に水が張っている。
これでよしと水を止めると、バシャバシャと水音が立った。音の方を振り向くと、田んぼの中央あたりで水しぶきがしきりに上がっている。
そのあたりで魚が激しく跳ねているのか、あるいは鳥か獣が走り回っているのかといった水しぶきだ。
しかしその水しぶきを立てているらしき生き物の姿が見えない。水深は十センチもないのだから、魚だとしても姿が全く見えないということはありえない。
そもそもあんな大きな水しぶきを立てるくらいの大きな魚が、川と直接繋がっていない田んぼに入ってこられるはずがない。水は確かに川から汲んでいるのだが、水を汲む管の太さは五センチくらいで、小魚くらいしか通れない。
それでは何が水しぶきを立てているのか。生き物でなければ、地面から何かが吹き上げているのだろうか。耕している間はそんな様子はなかったはずだった。
なんだろうなとしばし眺めていると、その水しぶきの中からぬっと、棒のようなものが突き出した。
泥水の中から出たにしては妙に真っ白い棒だった。先が細く枝分かれしているのが見えた。
白い白い、人の腕だった。


Wさんは走ってその場を後にした。
その足でKさんに報告しにいくと、話を聞いたKさんは驚いた様子もなく、ああ見たかと言った。
ああいうものが出ることを知っていたのだろう。自分の田んぼなのだから当然かもしれないが。
見たのなら話してやらないとな、とKさんはあの田んぼの由来を語った。
あの小さな田んぼは元はKさんの持ち物ではなく、昭和の頃まではRという農家の田んぼだったという。R家はK家の隣だった。
Rの家では一族の守り神として、自宅の庭にある小さな祠を拝んでいた。件の田んぼは、その祠に捧げる供米を育てるためのものだったらしい。
ところがRの家では農業を継ぐ者が誰もおらず、平成に入ってから田んぼを全て売り払って他所へ移り住んでいった。
その田んぼのうち何箇所かを譲り受けたのがKさんだという。
譲り受けた当初、Kさんは祠や供米については何も聞かされていなかった。しかし農作業中に何度か奇妙な体験をしたのだという。
Wさんが見たような水しぶきや腕を見たこともあったし、腕ではなく脚が突き出していたこともあった。田んぼの周囲を走る足音だけがぐるぐる回り続けることもあった。
いずれも害があるようなものではなかったという。
R家の祠については後で他の高齢の農家から伝え聞いたが、すでにその時はR家が住んでいたところは空地となって祠は跡形もなかった。
Kさんは考えた。祀る者がいなくなった祠の神様がああやって現れているのではないか。忘れるな、と言っているのではないか、と。
だからKさんは今もあの田んぼで穫れた米の一部を、供米として田んぼの傍に作った小さな祭壇に捧げているのだという。

鳩時計

大学生のNさんが、ある講義でグループを組んでレポートを作ることになった。
同じグループになったのはたまたま近くの席だった同学年のEさんとKさんで、手分けして資料を揃えてからまとめることになった。
締切の三日前の夕方にKさんの部屋に集まり、夜七時前に作業に目処がついた。
ちょうど夕食時だから外に何か食べに行こうか、と話していたところで頭上から変な声がした。
「ぽっぽー、ぽっぽー、ぽっぽー」
壁に掛けてある時計から声が聞こえる。鳩時計のようだが、時計の見た目は単なる丸い掛時計で、鳩が飛び出してきたりはしていない。
文字盤は七時ちょうど。正時になると音声だけが鳴る時計なのだろう。そう思った。
しかしその音声が、鳥の声ではなく、人の声にしか聞こえない。やる気のなさそうな女性の声で、鳩の鳴き真似をしている。
なんとも力の抜けるようなその声に、Nさんはつい笑ってしまった。
猫かわいい。この時計どこで買ったの? ――そう言ったのはEさんだった。
Eさんには猫の声に聞こえたという。NさんもKさんも首を捻った。
猫じゃなくて女の人の声だったでしょ? Nさんがそう言うと、Kさんはいやいやいや、と首を横に振る。
――二人してなに? 何の話をしてるの?
Kさんは怪訝な顔で言った。Kさんの部屋の掛時計に、音声が鳴る機能などないというのだ。
しかしNさんもEさんも、七時ちょうどに時計から音声が流れたのをはっきり聞いている。ただ、聞いた音が食い違っているのが奇妙ではあった。
いや、そんな声なんてしてなかったって。いつもしないし。さっきだって五時にも六時にもそんなの聞こえなかったでしょ。
Kさんのその言葉で思い返してみると、確かにそうだった。七時だけに鳴るのは不自然だろう。
じゃああの声はなんだったの。
さあ?
顔を見合わせていると、三人のスマホが一斉に鳴り始めた。
「ぽっぽー、ぽっぽー、ぽっぽー」
先程の時計と同じ音声が同時に鳴っている。そんな着信音はNさんのスマホに入っていない。
えっ、どうして、と狼狽えながらスマホを取り出したところで声が急に変わった。
「ぎゃはははははは!」
けたたましい笑い声がそれぞれのスマホから炸裂し、それきり静まり返った。
履歴を確認したがそれらしき着信がない。
EさんもKさんも涙目になっている。今度は二人とも同じ声が聞こえたらしい。


スマホに変なウイルスでも入っているのではないかと心配になったので、Nさんは帰宅後にスマホを初期化した。
その効果かどうかはともかく、その後Nさんに同様のことは起こらなかった。
この件で気まずくなったわけではないが、EさんKさんとはその後付き合いがなかったので、彼女たちのほうに何かあったかはわからないという。

群箒

Sさんの家の隣は空地になっている。以前はそこに立派な家が建っていたのだが、住んでいた家族が引越してしまい、それからすぐに取り壊されて更地になった。
その家族とは親しくしていたわけではないからSさんは家の中に招かれたことがなかったが、外観からして金のかかっていそうな家だと感心していたから、住まなくなってすぐに取り壊してしまったのは意外だったし、更地にしたあとにすぐ次の家が建たないのも不自然な感じがしていた。
とはいえ隣に人が住んでいた頃も更地になった後も、特段困ったことがあったわけでもないので、何となく変だなと思っていたくらいで普段からその場所を意識してはいなかった。隣が空家になったときと取り壊しが始まったときにおや、と思った程度だった。
ただ、一度だけこの空地で奇妙なことがあったという。


五年ほど前の冬の夕方、Sさんが自宅の二階から何気なく外を見ると、隣の空地に人がいる。それも数人どころではなく、三十人あまりが空地にひしめいている。
背格好はバラバラで、金髪の若い男もいれば中年の女性もいるし、中には中学生くらいの女の子も交じっていた。
そしてみなそれぞれに竹箒を手にして、空地の地面を掃いている。しばらく雨がなかったせいで乾いた地面に、砂埃がもうもうと立っている。
なんであんな大勢で掃除してるんだろう。別にゴミが散らかっているようにも見えないけど。
空地を管理してる不動産業者がやってるのかな?
そうだとしても、あんなに大人数でやる意味がわからない。人件費が馬鹿にならないだろう。
疑問に思ったSさんは、下りていって近くで見てみようという気になった。近くを掃いている人を掴まえて事情を聞いてみるのもいいだろうと思った。
そうしてすぐに階段を下りて玄関でサンダルをつっかけ、外に出たSさんは目を疑った。
隣の空地に誰もいないのである。
箒を手にして空地を行き来していたあれだけの人数が、階段を降りて外に出るほんの十数秒程度のうちに姿を消していた。
家の前の通りを見ても、周囲の他の家を見ても、人の姿がない。
仮に、Sさんが外に出る間に全員が全速力で走り去ったというのならば、姿が消えたことの説明はつくかもしれない。だが、そうだとすればあの人数が一斉に駆けてゆく足音が聞こえないはずがない。外に出るまでそれらしき音は聞こえておらず、彼らが走り去ったとは考えられなかった。
しかし空地に目をやると、地面には箒で掃いたような筋が一面に見えていて、多数の足跡もそこに混じっていた。
確かにそこには少なくない人数の誰かがいて、箒で地面を掃いていたのだ。
かき消したようにその姿が見えなくなってしまったことだけが不可解だった。


今でもそこは空地のままだという。

ドーナツの穴

仕事帰りに買い物をしようとスーパーに寄ったFさんは、青果売り場から鮮魚売り場へと歩いていったところで思わず足を止めた。
鮮魚の陳列棚を眺めている一人の客がいる。こちらに背を向けて立っている。顔は見えないが、中年女性のようだ。
その女性の胴体に大きな穴が空いている。
胸から腹にかけて楕円形の空洞が口を開けていて、そのむこうの陳列棚が見える。
まるで大きなドーナツだと思った。ドーナツが買い物をしている。
なにこれ、作り物?
そう思って距離を取りつつ横目で眺めたが、女性は何気ない様子で棚から商品を籠に入れると精肉売り場のほうへと歩いていった。
動きだけなら普通の買い物客に見える。
しかし胴体にあんな大きな穴が空いている生身の人間がいるだろうか。
周囲の他の客は女性に注意を払っている様子はなさそうだった。自分の目か頭がおかしくなったのだろうか、とFさんは疑ったが、どう見ても穴がある。
手に取った商品が棚から女性の持った籠に移動しているから、幻とも思えない。
呆然とその背中を見送っていると、その穴の向こうから誰かが顔を覗かせた。
性別はわからないが幼い子供だ。女性のすぐ向こう側に子供がいて、胴体の穴からこちらを覗いている。なんの感情もこもらない、ガラス玉のような目だ。
だが女性の足元に子供の足がない。女性の向こうに子供が立っているようには見えなかった。
顔だけが穴の向こうに浮いているのだろうか。
あっ、これは見たらまずいやつだ。
Fさんは慌てて目を逸らし、急いで会計を済ませると足早に店を出た。
その店はそれからも利用しているが、穴の空いた女性を見たのはそれ一度きりだという。