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「越すに越されぬ大井川」といわれたように、江戸時代、東海道を行く旅人にとって大井川は最大の難所で... 「越すに越されぬ大井川」といわれたように、江戸時代、東海道を行く旅人にとって大井川は最大の難所であった。大井川には橋はもちろん渡し舟すらなく、川越人足に高いお金を払ってかついで渡してもらうしか方法がなかった。 大井川に橋がなかったのは、江戸防衛のために幕府が橋を架けさせなかったからだといわれている。しかしこの江戸防衛説にはいくつもの矛盾がある。まず、大井川の水深は一年の大半が一メートルほどであることから、屈強な軍隊の移動に支障になったとは考えにくい。また、東海道筋の比較的大きな川の三分の二以上には橋が架けられていた。そして徳川家康は江戸入城まもなく江戸の喉元にあたる多摩川に六郷橋を架けた。しかし幕政が安定した元禄時代になって渡し舟に切り替えられたのも、河川による江戸防衛説に矛盾している。 川を越える方法には、橋、船渡し、徒渉(かちわた)しの三つの方法があった。このような違いは河川勾配と
2014/06/18 リンク