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>見えるものは 見えないということがあってはじめて成り立つ。 それは 影がなければその像を認識でき... >見えるものは 見えないということがあってはじめて成り立つ。 それは 影がなければその像を認識できないことのように。 聞こえることもまた 聞こえないことがあることによって成り立っている 既に聞こえていたのでは 聞き分けることができない。 すると どうでしょう 考ええることももしかしたら 考えないことが根本に必要なのではないだろうか? 触れることには、影は必要ないねんで?というよりも、目も、耳も、触れている。触れるという言葉がその詩に使われてる。詩的感性的な意味がある。 像そのものが認識ではないかな? 見るのに手で触れる事は必要ない。聞くのに手で触れる事は必要ない。 けれども、考えることに、手で触れる事は、必要である? 象そのものが認識ではないかな? この詩の俺の解釈ではな、触れるという事は、触れたり、触れなかったりすることじゃないということ。混ざるというかな。溶け出すというかな。色の違う水
2007/05/21 リンク