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美的に良いアイテム(優美な絵画、壮大な自然風景、etc.)に、「感動すべきだ!」と言うことはよくある... 美的に良いアイテム(優美な絵画、壮大な自然風景、etc.)に、「感動すべきだ!」と言うことはよくあるが、そこには本当に義務と呼べるようなものがあるのだろうか。 サウサンプトン大学のダニエル・ホワイティング[Daniel Whiting]は、美的理由をめぐってよく読まれている論文「Aesthetic Reasons and the Demands They (Do Not) Make」(2021)のなかでこの問題を扱っている。結論として、特定の情動を抱くよう要求するような美的理由、美的義務はない。せいぜい「感動することに無理はない」「感動するのももっともだ」と言えるに過ぎず、「感動すべきだ」とまでは言えない。以下、ホワイティングの議論をさっくりまとめよう。 べき[ought]は標準的には理由[reason]から分析される*1。φする理由が十分にあるときには、φすべきなのだ。しかし、なんにせよ
2024/06/10 リンク