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最初の読者として初稿を読み直して見た著者をとらえたものは、意図されたわけではない一貫性が維持され... 最初の読者として初稿を読み直して見た著者をとらえたものは、意図されたわけではない一貫性が維持されていることへの驚きである。その一貫性は、樋口一葉から阿部和重にいたるまでの作家たちの言葉が、それぞれ異なる水準ではあるが、著者の心をしたたかにとらえたものばかりだという事実から来ている。「心をとらえる」とは、方法で処理しきれない事態に直面した者の戸惑いが書く主体を深く揺るがせていたことを意味する。(p.249) これは、先日読んだ蓮實重彦『魅せられて』(ISBN:4309017185)のあとがきの一節である。私は自分でも恥ずかしいと思うぐらい蓮實贔屓なので、蓮實批評をやや理想化してしまいがちだが、それを差し引いても、この文章は文学や映画を語る際に重要なことだと思う。 別にこれは文学というのは「論理」を超えている、だから「論理的」に語れないということを述べているのではない。私が引かれるのは、ある作
2005/08/05 リンク