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卒業後の1963年、南海ホークスにテスト生として入団[2]。当初は持ち前の俊足を生かすべく外野手として起... 卒業後の1963年、南海ホークスにテスト生として入団[2]。当初は持ち前の俊足を生かすべく外野手として起用されるが、2年目の1964年に捕手へ転向し、1966年6月5日の近鉄戦(日生)に偵察で一軍初出場。 当時は野村克也が全盛期であり、柴田は高橋博士・元田昌義と共に野村の控え捕手であったが、野村からの信頼が厚かった[3]。柴田の出場機会はほとんど無かったため、球団には毎年他球団へのトレードを志願していた[4]。 二軍ではウエスタン・リーグで3割台を何度も記録し、打撃ベストテンに何度もランクイン。肩もキャッチングも良かったが[3]、三浦清弘のナックルを捕れずに額に当てたこともあった[5]。 1969年10月18日の東映戦(後楽園)で初スタメン出場を果たし、先発の泉嘉郎を完投勝利に導いたほか、柴田自身もプロ初打点を記録。 野村が選手兼任監督に就任した1970年からはブロックサインの解読を担当し
2009/03/15 リンク