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ひとまず四ツ橋の記念碑を凝視したところで、高速道路の高架下を東へと戻り、鬼貫と小西来山の句碑が並... ひとまず四ツ橋の記念碑を凝視したところで、高速道路の高架下を東へと戻り、鬼貫と小西来山の句碑が並んでいるさまを無事に見届けたところで、いざ四ツ橋文楽座の跡地へ行かんと、イソイソと道路をわたって、佐野屋橋で右折すると、そこは、がらんとした駐車場。本当にここなのかなとまったく実感がわかず、ぽかんと立ちつくすのだったが、ここは紛れもなく四ツ橋文楽座のあった場所であるはずなのだった(ぽかんとするあまりに写真を撮り損ねてしまった)。 まずは、『大阪市パノラマ地図』(大正13年1月5日発行)の世界へ。長堀川の心斎橋と四ツ橋(のひとつの炭屋橋)の間に架かる佐野屋橋南詰の南西角に注目。大阪町名研究会編『大阪の町名』(清文堂出版、昭和52年9月1日)の「鰻谷西之町」の項に、 佐野屋橋南詰の南西角、現在の鰻谷西之町十二番地に文楽座があった。この場所は、永く文楽座に対抗してきた非文楽系―彦六座―稲荷座―明楽座―