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ニセ科学にかぶれる方々は、科学を欲しているのか神秘を欲しているのか、その辺を自覚すべきだと思った... ニセ科学にかぶれる方々は、科学を欲しているのか神秘を欲しているのか、その辺を自覚すべきだと思った。 科学に神秘はない。神秘とは読んで字の如く秘められたるものであり、対して科学は明らかにする学問である。科学が触れた途端、神秘は神秘でなくなる。だから、神秘を望む向きは科学に近寄るべきではない。 宗教のように神秘を神秘として受容するのであれば、科学はその存在を容認する。 仮令将来、脳の働きが解明されてすべての神秘体験が「錯覚」で片付けられるようになったとしても、それが神秘的な体験であったこと、そして体験による個人の意識変化は真実であり、何ら否定されるものでもない。物理的な意味で神が存在しないとしても、神という概念が退けられるわけではない。科学と宗教は別の世界であり、対立するものではないのだ。 問題は、実質的に神秘を望んでいるにも関わらず、そのアイデンティティを科学に求めようとする場合である。例え
2006/12/07 リンク