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※本記事は、関卓中『地球上の中華料理店をめぐる冒険』の抜粋です。 これは私の「東京物語」である。 日... ※本記事は、関卓中『地球上の中華料理店をめぐる冒険』の抜粋です。 これは私の「東京物語」である。 日本という国を初めて実際に目にしたのは、横浜港に入っていく客船の上からだった。時は1965年8月。1年前から東京に赴任していた父と合流するために、私は母、妹とともに香港を離れ、4日間の船旅の末に日本にやってきたのだった。前年に東京オリンピックが開催され、父は体操競技を観戦したと興奮ぎみに語っていた。 私たちは、4日前の真夜中に香港のビクトリアハーバーを出港した。港には、友人たちが見送りに来てくれた。当時、私は14歳。次に会えるのはいつになるのかわからない。夜の闇に消えゆく街の灯を見ていると、早くも友達と会えなくなる寂しさが込み上げてきた。 移住はこれが初めてではない。生まれは香港だが、生後10ヵ月にして祖母の腕に抱かれてプロペラ機でシンガポールに移った。12年後には、貿易会社に勤めていた父が香