注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
直木三十五のお墓は当初慶珊寺にありましたが、 その後七福神の一つである長昌寺へ移されています。 直... 直木三十五のお墓は当初慶珊寺にありましたが、 その後七福神の一つである長昌寺へ移されています。 直木三十五の住居は慶珊寺のすぐ裏にあったのです。 慶珊寺は長昌寺からも近く、富岡駅へ向かう道すがらにあります。 境内はとても綺麗に手入れがされており、とても気持ちよいお寺でした。 お寺の入口の脇には意外な碑が建っていました。 孫文の上陸記念碑です。 孫文が大正2年8月に台湾を経由して日本へ亡命した際に 横浜沖より小舟で富岡の地に上陸したそうです。 直木三十五の住居は慶珊寺の左脇の坂道を数百m登るとあります。 そこには直木三十五の文学碑があり、 『芸術は短く、貧乏は長し』と書かれています。 これは昭和35年に大仏次郎が中心となって建てられたそうです。 直木三十五の住居は現在も残っており外観も保っているのですが いまは個人宅となっているので写真は控えました。
2009/02/23 リンク