注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
白川静『孔子伝』(中公文庫、原著1972年)を読む。最近は松岡正剛による評論が出るなど再注目を集めて... 白川静『孔子伝』(中公文庫、原著1972年)を読む。最近は松岡正剛による評論が出るなど再注目を集めている故・白川静、呪術的な漢字の生起など魅力はかり知れない感がある。 本書にのぞむ白川氏の態度は、次のことばにあらわれている。 「孔子を大聖として書くことは、むしろやさしい。それは、孔子の伝記的事実のなかに、美しい語録である『論語』のことばを、適当に加えれば、構成できるからである。(略) しかし事実の意味を解くことは、実は容易ではない。意識の底によどむあるものにも、照明を当てなければならぬからである。 」 本書によるならば―――。 孔子は巫女の子、父の名も知られぬ庶生子であった。巫祝とは下層の者、なかでも雨乞いに犠牲となる人身御供を儒といった。儒は雨に頭頂を示す而、刑を受けて結髪のない男が雨乞いをする意味だと解く。もとより殷周の時代、巫祝は聖職者であったが、のち祝系の伝統が衰えて、祈祷や喪葬な
2019/07/26 リンク