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一度行きたかったところ。霧社です。 台湾に来て、台湾に関する本を読み漁っていると、そのトーンは論者... 一度行きたかったところ。霧社です。 台湾に来て、台湾に関する本を読み漁っていると、そのトーンは論者によって様々ながらも、やはり台湾史の中の日本統治時代の一大事件として、また日本の「理蕃政索」の転換点となった事件として必ず触れられているものだから、いつの間にやら私の中で大きな位置を占める対象となっていました。 1930年10月27日。この山間の静かな町で日本統治史上最大の、そしてもっとも悲惨な、台湾原住民、セイダッカ族による抗日蜂起事件がおきた。 その当時、霧社の周辺では樟脳産業がさかんで、多くの日本人が入植していたという。また、こうした「蕃地」*1では、警察が治安、教育、行政をすべて取り仕切っていたため、多くの駐在所が設置され、日本人警察官も多く暮らしていた。 霧社はこうして日本人と原住民が境界を接する場所であり、当時から理蕃のモデル地域として扱われていた。だけど、その統治はセイダッカ族の
2009/09/15 リンク