注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂... 気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 「小銭」で考える正義 これからしばらく、「正義とは何か」という総合タイトルのもとで、さまざまなテーマについて考えてゆきたいと思う。今回は「ひどいと思う」というテーマで、さまざまな正義の欠如について全体的に考えてみよう。正義という言葉は、重い言葉で、正面から扱うと大上段に構えたくなるものだ。フッサールはどこかで、「小銭で考える」ことを勧めていた。高額の貨幣ではなく、身近な通貨で、手元にある言葉から考えてゆくことで、意外と考えることの道が開けてくるものだと思う。 正義という語はもとは儒教の用語で、『荀子』の「正名」編に「正利にして為す、之を事と謂い、正義にして為す、之を行と謂ふ」[1]とあり、「人として踏み行うべき正しい道理」の意味をもっていた。
2010/12/02 リンク