机はでかい方がよい



90×90(斜辺70×70)&70×140


アスクルで買って自分で組み立てた机を使っている。90×90のコーナーデスクは二辺が斜めにカットされていて、そこにイスを突っ込むようになっている。カットされた残りが70で長机とぴったり合うようになっている。この長机の横幅がどーんを140ある。


さらに、その手前にも少し小さめ(たぶん60×108ぐらい)の、これまた自作机が並んでいる。前の家ではこの黒くて小さい机が、寺子屋のみんなの机であり、息子が受験勉強に勤しんだ机でもあった。だからこの黒机は、寺子屋に来てくれていた子どもたちの落書きがいっぱいだ。


それはさておき、机が広いとこれほどまでに仕事を気持ちよく進められるものかと、つくづく思う。iMacはコーナー机に置いてある。この机には左手にプリンターが乗っている。こいつが目障りと言ったら、そうではあるが、まあ、これぐらいは目をつぶろう。


モニターの右手にはブックスタンドがある。ELECOM製でシンプルな作りながら、なかなかよくできている。モニターは机の対角線のあたりにセッティングしているので、手前がかなりゆったりしている。モニターとキーボードの間に本や資料を置くこともできる。できれば、こいつをデュアルモニターにでもすれば、もっと作業効率が高まるのかもしれないが、とりあえず今のところはこれで不便はない。


そして使い勝手を高めているのが、脇に並べてある長机である。ここに資料やら本やらノートやらを広げている。特に企画ものをまとめるときには資料を参照することが多い。あの本のあのあたりと、この本のこのへん、といった具合に何冊か本を広げながら仕事をできることが、こんなにも効率的だとは思わなかった。


何と言うか、一冊の本を丸々引き写したりするわけではないのだから当然と言えばそうだ。いろんな資料から、自分の組み立てた考えに合うようにエッセンとも言うべき部分を取り出してくる。それらをためつすがめつしているうちに、頭の中で新しい回路がつながる。組み合わせの妙が生まれればしめたものだ。


それで厳密に、完全に、自分のオリジナリティといえるのか、と問いつめられれば「否」と答えるしかない。が、凡人に考えられるのはその程度ではないのか。などと開き直ったりもする。むしろ、例えば内田樹先生と佐藤優師の本を読み込んでいて「おぉ〜、どちらもユダヤ人については似たようなことを言っているではないか。すると、この二人の先達の言っていることをまとめると、こんなことが言えるのではないか」と思いついたことは、さて、誰の考えとなるのやら。


これが学問の世界であれば、峻厳とも言える審査をクリアせねばならないのだろうが、仕事に使う分にはそんな必要はないはずだ。


ということなので、必要な本を何冊も一度に広げておけることができるスペースがあることは、間違いなく生産効率を著しく高めてくれる。もっとも秘書というかアシスタントというか書生さんみたいな人に手伝ってもらえるなら、何も自分ででっかい机を二つも三つも独り占めする必要はないのだろう。


「ちょっと、あれ、調べといてんか」で何ごとも済むのだろうから。と考えれば、逆にお一人さまにとっては、それも資料を必要とする仕事をするお一人さまに限っては、でかい机は必須ではないのだろうか。


机がたっぷりと広いことは、もう一つ効用がある。机の上をいつもきれいさっぱりした状態に保てるのだ。出した本は、すぐにもとの本棚に戻すことができるし、集中してかかっている仕事のために必要な資料は、それ専用の移動式本棚がある。


ついつい貯めてしまいがちな紙は、バッファースペースとしてとってある黒机に置けばよい。ここは一週間か十日に一度、いらない資料がないかどうかをチェックして、不要だと思ったものはさっさと捨ててしまえばよい。実際、紙の資料を長く持っていて、あとから見返すことはほとんど無いし、たいていはデータがどこかにある。


ということでお一人さまにはでかい机がよいというお話でした。それにしても、お一人さまもいつの間にか30回になっていたとは。そんなにたくさん書いたかしらん。



昨日のI/O

In:
『最強フレームワーク』永田豊
Out:
電中研・斎川氏インタビューメモ
島根大学山口教授インタビューメモ


昨日の稽古: