毎年毎年、自分のかわいいむちゅこたんに☓つけられて頭にくるからか、掛け算の順序問題が炎上するよね。
算数の批判って、結局のところ「掛け算順序問題」とかいわれる時点でお察しよ。
文句を言う側は、そこに硬直化した小学校教育の問題が凝縮されてるとか宣うんだろうけれどさ、アホくさいことこの上ない。
割り算の話になるととたんに小さい話になってく。
習ってない小数点使って☓とか、括弧をつけて☓とか、そんな感じ。
割り算の結果は現実でも「距離/時間」とかの単位に意味があるものになりやすいのも、掛け算だけに問題が集約する一因なのかも知れんが。
それって、違う回答できないからよね。
1+2を2+1と書けても、2-1を1-2って書くことは出来ない。
掛け算と割り算も同じ。
なのに、足し算と掛け算は、「それが出来るから」という理由で、学校教育が否定される。
そんなに子供が賢いと思うなら、その程度の処世術、教えとけよ。
間抜け共。
何が要点? 三行で。
原理原則よりも処世術を優先する教育をする時点で亡国への道だろう (しかも、数学の原理原則は、自然法則(物理法則)より上位の概念だ。人の作った法律ならともかく) 文系ならば...
儒教の原理原則にこだわりすぎて失敗した王莽さんをdisってるんですか!?
ちゃんと読もうね 儒教を作ったのは人だろう? 法律と同じなわけだから 物理法則や数学の原理原則は絶対なんだよ(破れないから)
数学の原理原則が絶対wwwwww 小学校教師に破られてるものが絶対wwwwww 現実見ろwwwwww
は?儒教は天然自然の法であって人々に内在する仁義を孔子が見出しただけですが?
実証実験で再規制は確認されているのか?という話だが 再現性の根拠がなければ、宗教と同じ(なぜならば、例外がでるので)