WJプロレス
WJプロレス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 05:06 UTC 版)
その後、大森は2003年3月1日に旗揚げ予定の新団体WJプロレスへの参戦を明らかにした。WJプロレスでは越中詩郎とタッグチーム「レイバーユニオン」を結成して活躍。天龍源一郎、長州力の両巨頭からシングルでピンフォールを奪う実績を作った。 2004年2月には越中と2人でZERO-ONEに乗り込み、2002年プロレス大賞最優秀タッグの炎武連夢(大谷晋二郎&田中将斗組)と対戦。炎武連夢からはNWAインターコンチネンタルタッグ王座を奪取し、最多防衛記録も樹立した。 この間、大森は全日本プロレスに移籍した武藤敬司とも2度戦うが、共に敗れている。1戦目はゼロワンマット、2戦目はチャンピオン・カーニバルでエプロンから場外への断崖式アックスギロチンドライバーなどであと一歩まで追い詰めるが、一瞬のスキを突かれフランケンシュタイナーで敗れた。 その後も大森はZERO-ONEに継続参戦し、火祭りで準優勝となる。
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