PZL(1928年-1939年)
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「PZL (航空機メーカー)」の記事における「PZL(1928年-1939年)」の解説
PZL(Państwowe Zakłady Lotnicze)は、それ以前にあったCWL(Centralne Warsztaty Lotnicze:中央航空機研究所)を基に、1928年、国営企業としてワルシャワに設立された。 当初、同社ではフランスの戦闘機、ウィボー70(en:Wibault 7)のライセンス生産が行われたが、その後は自社設計の機体を専門に生産した。 1930年代に入ると、ズィグムント・プワフスキの設計による、高翼・全金属製の近代的な一連の戦闘機シリーズが生み出された。PZL P.1、P.6、P.7、P.11である。特に最後の2機種は、1933年以降、ポーランド空軍の主力戦闘機として使用された。 シリーズ最後の機体であるPZL P.24はプワフスキの航空機事故による死去の後に開発されたもので、4カ国に輸出された。 また、PZLは軽爆撃機PZL.23カラシュ(Karaś)、近代的な中型爆撃機PZL.37ウォシュ(Łoś)の量産をおこなったほか、いくつかのスポーツ機(PZL.5、PZL.19、PZL.26)、連絡機(PZL Ł.2)なども若干生産。旅客機の開発・試作も行った。 1930年代後半、PZLは、戦闘機PZL.50ヤスチョンプ(Jastrząb)、軽爆撃機PZL.46スム(Sum)、旅客機PZL.44ヴィヘル(Wicher)など、それまでよりもさらに近代的な戦闘機、爆撃機、旅客機の開発・試作を行った。しかし第二次世界大戦の勃発により、これらの機体は生産されることなく終わった。 PZLは、戦前のポーランドにおいて、最大の航空機メーカーだった。1934年時点で、主工場はワルシャワのオケンチェ地区にあるPZL WP-1(Wytwórnia Płatowców 1:第一機体工場)だった。さらにPZL WP-2(機体第二工場)が1938年から1939年にかけ、ポーランド南東部のミェレッツに建設されたが、第二次世界大戦が始まった時、この工場では生産が始められたばかりという状態だった。 エンジン生産部門は、PZL WS-1(Wytwórnia Silników 1:第一エンジン工場)がやはりワルシャワのオケンチェ地区にあり、主にイギリスからのライセンス品であるブリストル社製エンジン、ブリストル ペガサスやブリストル マーキュリーなどを生産した。この第一エンジン工場は、旧称を「ポーランド・スコダ製作所(Polskie Zakłady Skody)」といい、チェコのシュコダ社の現地法人だったが、1936年に国営化され改称されたものだった。 1937年から1939年、PZL WS-2(エンジン第二工場)がジェシュフに建設された。
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