IBMで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/17 18:43 UTC 版)
「フィリップ・ドナルド・エストリッジ」の記事における「IBMで」の解説
ドン・エストリッジは大学卒業直後の1959年に、IBMキングストン(ニューヨーク州)でジュニア・エンジニアとして就職して、フェデラル・システムズ部門でアメリカ合衆国政府関係のプロジェクト、ゴダード宇宙飛行センターの有人・無人宇宙飛行計画などで働いた。 1969年に、彼はIBMゼネラル・システムズ部門のIBMボカラトン(フロリダ州)へ移った。まずSeries/1ミニコンピュータ開発のマネージャーとして指導的役割を果たした。その後本社勤務になったのは、このプロジェクトがあまり成功しなかったのでと伝えられている面もあるが、Series/1は大成功であり、また人材豊富なIBMでは将来性ある人材を短期間本社勤務にして、全社的な見方ができるようにするような人材教育政策はよく行われていた。 1980年、エストリッジはIBMでパソコンを開発する少数グループのリーダーになり、このグループは後に製造も含めてIBMエントリー・システムズ部門(Entry Systems Division)に発展している。当時パソコンはアップル、コモドール、タンデムなどで、徐々に盛んに使われるようになってきていて、コスト面で対抗できるようなパソコンを短期間に開発する必要があった。これにはそれまでのようにIBMの固有の技術を使う伝統を破り、当時業界で使われていた技術を、ハードウェア面でもソフトウェア面でも利用した。 こうして1981年に発表されたIBM PC 5150はコスト的に競合相手にも十分対抗できるものとして、IBMの評判もあって、企業にも個人にもよく売れた。また、IBM PCの仕様が公開されて、販売後に様々な内装カードやソフトウェアが他社から販売できるようにした。 この結果、エストリッジはIBM社の製造担当副社長になり、IBM社の世界全体の製造をみる地位に着いた。
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