FUNAN フナン
FUNAN フナン | |
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Funan | |
監督 | ドゥニ・ドゥ[1] |
脚本 |
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製作 |
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出演者 | ベレニス・ベジョ ルイ・ガレル[2] |
音楽 | ティボー・キーンツ・アギレマン[1] |
編集 | ローレント・プリム[3] |
製作会社 | |
配給 | |
公開 | 2018年6月11日(アヌシー国際アニメーション映画祭[4] 2019年3月6日[2] 2019年4月24日[2] 2020年12月25日[5] |
上映時間 | 84分[4] |
製作国 | フランス ルクセンブルク ベルギー[2] |
言語 | フランス語[4] |
興行収入 | $15,152[6] |
『FUNAN フナン』は、ドゥニ・ドゥ監督による2018年[4]の歴史ドラマを扱ったアニメーション映画。脚本はドゥおよびマガリ・プゾル (Magali Pouzo)で、エリーゼ・トリンも参加している。カンボジアの女性が、1975年4月のクメール・ルージュの革命開始後に強制的に連れ去られたわが子を探す物語である[1]。
映画で会話に使用されているのは主にフランス語で[4]、ベレニス・ベジョとルイ・ガレルが主演を務めている[2]。
映画のタイトルは、かつて現在のカンボジアを含むインドシナ半島に存在した国家、扶南国に由来する[7]。
製作
監督・脚本のドゥニ・ドゥはフランス生まれで、フランス・中国・カンボジアの血を引く。本作はドゥ自身の調査およびドゥの母親の記憶がベースで、ドゥの母親は主人公のチョウのモデルとなっている[1][5]。
ドゥニ・ドゥは2020年の日本公開に際し、日本のアニメを見て影響を受けてこの道に進んだので日本での公開は夢の実現であると、ビデオメッセージを寄せた[8]。また、高畑勲を尊敬しており、この作品を高畑に見てもらえなかったことが残念とも取材に対して述べている[8]。
あらすじ
チョウは夫のクン、幼い子どものソヴァンとともにプノンペンに暮らし、家ではクンの弟のメン、チョウの母と祖母、そして彼らのほかの子どもたちであるホー、トゥク、リリーと同居していた。1975年、クメール・ルージュは政権を打倒し、チョウ一家は革命軍によって都市からの強制退去を命じられる。
過酷な移動のさなか、ソヴァンと祖母は家族とはぐれ、クメール・ルージュの兵士はチョウが彼らを探しに行くことを禁じた。
近くの街に到着したとき、いとこのソクが革命軍の一員になっていることをチョウたちは知る。そしてすべての街はコミューンへと変わった。家族の所有物は隠すことができずに取り上げられ、わずかな食料で骨と皮になるまで働かされた。チョウは息子の行方を尋ね、他の労働キャンプにいることは保証されたが、会いに行くことは禁じられた。脱走を望むメンに、クンは生き延びるためには従う以外に選択肢はないと主張する。
チョウの願いでクンは船で川を渡りソヴァンを探そうとしたが、捕まって殴打された。トゥクは病気となり、チョウたちの家族は隠していた最後の貴重品を、クメール・ルージュと寝ていると言われていた女性に渡し、薬を手に入れようとする。しかしトゥクは彼女が戻る前に死亡した。女性は薬を見つけることができずに戻り、キャンプの他の女性から殴打された。留守中に息子をチョウに預けていた女性は、死を前に息子をチョウに託す。ソクはクンに罰を与えるふりをしてソヴァンを探しに行くことを許したが、クンが到着したときには子どもたちは再び移動した後だった。
この間、ソヴァンは祖母とともに暮らし、労働キャンプで一人の少女と友だちになった。周囲では恐ろしい殺人が続き、少女はソヴァンたちが食べ物を盗んだときに追っ手から逃す囮になった。
もはや耐えられなくなったメンは、国境を越えて逃げることを企て、クンはその後を追って成功を祈ったが、クメール・ルージュの兵士に捕らえられる。ソクはクンを助けるために兵士を殺した。クンとチョウは戻ったが、別の疑り深いクメール・ルージュ兵が罰としてソクを殺害する。
労働キャンプのグループは列車で再び移動させられ、チョウは面倒を見ていた子どもから引き離される。ある駅で、クメール・ルージュ兵の娘が井戸に落ち、クンがそれを助けたことにチョウは腹を立てる。まもなく男性と女性は別のキャンプに行くことになり、チョウ、リリーと彼女たちの母だけが残される。数ヶ月後、井戸で溺れたクメール・ルージュの女性・ペウが感謝の気持ちとして、チョウの家族にくすねてきた食料を差し入れたが、チョウはすべてを奪われても憐れみを受けない自由があるとして、空腹にもかかわらずそれを拒んだ。チョウの母はクメール・ルージュ兵の一人がリリーに気があることに気付き、これを利用して食料を手に入れるよう勧めた。だが、兵士がリリーを犯した後、リリーは首をつった。
ホーはようやく男性キャンプから戻り、クンとは離されてしまったと話す。しかし、リリーの身の上に起きたことを聞いたホーは、その兵士を見つけて草葺きの倉庫に入ったところを閉じ込め、生きながら焼き殺した。ホーは、無実ながら同調者とみなされた老婆とともに殺される。チョウの母は餓死した。
2年が過ぎ、クンは痩せ衰えたチョウを診療室で見つける。クンはソヴァンを見つけると話し、チョウは最後の力を振り絞った。カンボジア・ベトナム戦争が始まり、ベトナム軍がチョウたちのキャンプに攻撃をかけると、二人はソヴァンを探すために最後の脱出を試みる。二人は周辺を監視していたペウに目撃されるが、ペウは虚偽の報告をして脱走を黙認した。長く遠い道のりの果てに、二人は捨てられたとおぼしい子どもたちのグループを見つけ、その中にソヴァンがいた。
再び一つになった家族は、タイ国境からの脱出を試みる。その道すがら、別のクメール・ルージュの集団が地元民に取り囲まれ、女性が暴行されようとしているのに遭遇する。チョウは彼らの前に出てシャツを脱いで上半身を晒すと、自分もあなたたち同様、周りの女たちが苦しみ死ぬ中で生きてきたのだと涙ながらに話した。チョウたちは女性に一緒にタイに逃げることを勧めたが、彼女は家族がまだカンボジアにいると断った。チョウ一家は国境にたどり着く。クンは一人先に出て周りを偵察した。チョウとソヴァンが見ている前で、クンはクメール・ルージュ兵に発見される。クンは家族が国境を超えられるよう、わざと逃げて撃たれた。しかし最後の家族となったソヴァンとチョウは、手を取ってタイに入った。
公開
2018年6月11日に、長編作品部門に参加したアヌシー国際アニメーション映画祭でプレミア上映が実施された[4]。
その後2018年中に、10月17日のアデレード映画祭でのオーストラリア[9]、10月20日の"the Animation Is Film Festival"での北米[10]を含む、他の複数の映画祭でプレミア上映された。
Bac Filmsによってフランスでは2019年3月6日に、リュミエールによってベルギーでは2019年4月24日に、それぞれ映画館で公開された[2]。
英語圏では、2019年6月7日よりGKIDSにより、アメリカ合衆国で字幕付きフランス語版を限定公開した[11][12]。
日本では、2020年12月12日にフランス映画祭2020横浜で上映され[13]、同月25日より東京の2館をはじめとする一部の映画館で公開された[5]。
賞歴
『FUNAN』は映画祭で審査員や観客から高い評価を受け、いくつかの賞を獲得している。
アヌシー国際アニメーション映画祭では長編部門でグランプリ(クリスタル賞)を受賞した[14]。"the Animation Is Film Festival"では審査員グランプリと観客賞を[10]、第20回富川国際アニメーション映画祭では長編部門の審査員準グランプリ(フランスのCe magnifique gâteau !に次ぐ)を[15]、それぞれ受賞した。
2018年12月8日の第2回エミール賞では4部門にノミネートされ[16]、そのうち脚本賞(ドゥニ・ドゥ、マガリ・プゾル)とサウンドデザイン賞(ニコラス・リロイ、ミシェル・シリング、ニコラス・トラン・トロン)を受賞した[17]。
脚注
- ^ a b c d e f g "Funan press kit" (PDF) (Press release). パリ: BACフィルムズ. 2018. ユニフランスより2020年12月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “Funan (2017)”. ユニフランス. 2020年12月30日閲覧。
- ^ “Casting du film Funan : Réalisateurs, acteurs et équipe technique”. アロシネ. 2020年12月30日閲覧。
- ^ a b c d e f “Feature Film in Competition 8: Funan”. アヌシー国際アニメーション映画祭. 2019年1月23日閲覧。
- ^ a b c “クメール・ルージュ政権下カンボジアを描く「FUNAN」本編の一部公開”. 映画ナタリー. (2020年12月18日) 2020年12月30日閲覧。
- ^ “Funan (2019)”. Box Office Mojo. 2020年12月30日閲覧。
- ^ FUNAN フナン - 日本語公式サイト(「映画について」の箇所を参照)
- ^ a b 映画『FUNAN フナン』監督コメント - Youtube(movie collectionチャンネル、2020年12月27日)
- ^ “Adelaide Film Festival 2018: Funan”. Collage (2018年10月19日). 2020年12月30日閲覧。 “When: 17 and 21 October 2018”
- ^ a b “Funan”. Animation Is Film Festival. 2020年12月30日閲覧。
- ^ “Khmer Rouge Terrorizes Cambodia in Full Trailer for Animated Funan”. FirstShowing.net. First Showing (2019年5月8日). 2020年12月30日閲覧。 “GKids will release Do's Funan in select theaters starting on June 7th in the summer.”
- ^ “Coming soon to theaters”. Funan. GKIDS (2019年). 2020年12月30日閲覧。
- ^ FUNAN フナン - フランス映画祭2020横浜
- ^ “2018 Award Winners”. アヌシー国際アニメーション映画祭. 2020年12月30日閲覧。
- ^ “BIAF2018 Announced the winners of International Competition”. Bucheon International Animation Festival. 2019年1月23日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “Here Are The Nominees For The 2018 European Animation Awards”. Cartoon Brew (2018年11月13日). 2020年12月30日閲覧。
- ^ “Prince Ivandoe, And The Breadwinner Dominate European Animation Awards; Full Winners List”. Cartoon Brew (2018年12月8日). 2020年12月30日閲覧。
外部リンク
- Official press kit (PDF) at ユニフランス(英語)
- Official web page at BACフィルムズ (英語)
- U.S. official website
- FUNAN フナン - 日本語公式サイト
- FUNAN フナン - IMDb(英語)
- FUNAN フナン - Metacritic(英語)
- FUNAN フナン - Rotten Tomatoes(英語)
- FUNAN フナン - allcinema
扶南国
(FUNAN から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/11 14:40 UTC 版)
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。2015年1月) ( |
- 扶南
-
50/68年 - 550年 →
1 - 9世紀の地図:
驃国(Sri Ksetra)/ドヴァーラヴァティー/扶南(Fou-Nan)/チャンパ-
公用語 古クメール語、サンスクリット語 首都 バーヴァプラ - 元首等
-
480年 - 514年 ジャワルマン1世 - 変遷
-
建国 50/68年 真臘の属国となる 550年
カンボジアの歴史 |
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扶南国 (68–550) |
真臘 (550–802)
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クメール王朝 (802–1431) |
暗黒時代 (1431–1863)
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フランス領インドシナ (1863–1953) |
日本占領時期のカンボジア (1941–1945) |
カンボジア王国 (1953–1970) |
クメール共和国 (1970–1975) |
民主カンプチア (1975–1979)
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カンプチア人民共和国/カンボジア国 (1979–1993) |
カンボジア王国 (1993–現在) |
年表 |
カンボジアポータル |
扶南国(ふなんこく)は、1世紀から7世紀にかけてメコン川下流域(現在のカンボジア・ベトナム南部)からチャオプラヤーデルタにかけて栄えたヒンドゥー教・仏教(5世紀以降)の古代国家。
歴史
扶南の起源
3世紀頃の建業にあった呉の官僚の報告書に同時代の東南アジアの国家が出ている。しかし、扶南という名称は出ておらず、当時の現地人がどのような名前で国を呼んでいるのか分からない。
扶南をたてた人物は、インドからカンボジアに渡って扶南を建国したとする説と、インド出身のバラモン僧であり、マレー半島経由でカンボジアに渡り、王となったとする説がある外国人カウンディンヤである[1][2][3]。カウンディンヤは土地の女王ソーマと結婚し、その子供に王権を与えると、その子供は七つの町[4]を作ったと伝えられている。4世紀頃からチャンパ王国にミーソン聖域の建設が開始され、扶南滅亡後の658年の日付で同様の話が記録されている。
インドシナ半島では1世紀ころからインド文化が伝わり、扶南もその文化的影響を強く受けていた。ヒンドゥー教が伝わると官僚として多くのインド人が採用され、サンスクリット語が法律用語として使われた。
扶南はインド・中国間の海上交易ルートの中継地として大いに栄え、とりわけタイランド湾に面した外港オケオには交易による商品と後背地からの様々な産物が集積され、活況を呈していたと考えられている。
扶南の滅亡
550年から628年にかけて、扶南と真臘の間に戦争があった。550年頃、扶南は真臘を属国としていた。
628年に真臘のイシャーナヴァルマン1世が扶南を占領し、滅亡した。
民族
扶南をたてた民族については、クメール人(カンボジア人)である。
中国史書による記録
『梁書』巻五十四 列伝第四十八 諸夷のなかに記載されている。以下、原文を記し、適宜解説する。
同伝には、頓遜国、毗騫国などと並んで記述されている。
脚注
- ^ ブリタニカ国際大百科事典『カウンディンヤ』 - コトバンク
- ^ 深見純生「混填と蘇物--扶南国家形成の再検討」『国際文化論集』第39号、桃山学院大学総合研究所、2009年3月10日、 7-9頁、 ISSN 0917-0219、 OCLC 835763878。
- ^ 黎蝸藤 (2020年5月7日). “漢化與夷化:「中國人早已被遊牧民族化」是否成立?”. 関鍵評論網. オリジナルの2020年6月15日時点におけるアーカイブ。
- ^ ソーマとカウンディンヤをナーガの伝説をなぞらえた話。
関連項目
- 梁書
- 扶南異物志
- オケオ
- アンコール・ボレイとプノン・ダ
- FUNAN フナン - カンボジアを舞台としたアニメ映画でタイトルは扶南国に由来。
外部リンク
- FUNANのページへのリンク