1979年3月中の対応とは? わかりやすく解説

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1979年3月中の対応

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 03:05 UTC 版)

スリーマイル原子力発電所事故に対する東京電力の対応」の記事における「1979年3月中の対応」の解説

事故発生した翌日早朝NHKニュース事故第一報であった当時同社唯一運転していた原子力発電所である福島第一原子力発電所でもこのニュース最初で、間もなく東京電力ワシントン事務所1970年代従来三井物産のような商社経由での情報収集体制強化するため設けられていた)からファックス続々届き始めた。同発電所1974年以来渉外担当設置していたが、当座処置として29日午前中に双葉町大熊町両町事前約束に従って連絡し当日中に県庁にも人を出して報告したその後ワシントン支局から続報が来るたび、発電所でも資料をまとめ、県の原子力対策室に送った資料は第10報、厚さ10以上に及んだという。また県でも29日東京電力他科技術庁の連絡調整官事務所に情報収集依頼している。 当時福島第一原子力発電所から本店転属となり原子力計画課で炉心燃料設計、安全設計担当していた榎本聰明にとっても、この事故重大な関心事だった。幸い、榎本前任者濱田博義が東京電力ワシントン事務所駐在していたため、「素晴らし情報がまるで実況放送のように、毎日届けられ」「聞きたい思うようなことが(中略微に入り細に入り解説されていた」「当時日本に入る情報で、専門家も満足出来る一番内容のあるレポートだった」という。

※この「1979年3月中の対応」の解説は、「スリーマイル原子力発電所事故に対する東京電力の対応」の解説の一部です。
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