1807年の奴隷貿易法
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「奴隷制度廃止運動」の記事における「1807年の奴隷貿易法」の解説
1807年3月25日、イギリス議会で奴隷貿易法(en:Slave Trade Act 1807)が成立し、イギリス帝国全体での奴隷貿易を違法と定めた。イギリス船で奴隷が見つかった場合の科料は1人あたり100ポンドとされた。 この法の成立によって奴隷制度廃止運動にさらに力が備えられることになった。しかし、この時期はナポレオン戦争が激しくなる時と時期を同じくしていた。ナポレオンは、フランス革命の時に廃止されていた奴隷を復活させる後ろ向きの決断をくだし、フランス領のカリブ海諸島に黒人を奴隷にする軍隊を派遣したとき、イギリス帝国はその奴隷貿易を禁じる法によって高い道徳的立場に立つことになり、戦争のあらゆる時と場所において重要な観点となった。 この法律の意図はイギリス帝国の中で奴隷貿易を完全に違法とすることであった。しかし、その一方で、罰則が緩かった為に奴隷貿易(英語版)はひき続き行なわれ、イギリス海軍に捕まりそうになった船長は科料を減らすために奴隷を海に突き落とすこともしばしば行われた。また、南アフリカの英領ケープ植民地では、1809年にホッテントット条例(英: The vagrancy and pass laws of 1809)を施行し、イギリス帝国も二枚舌の政治を行なっていた。
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