18世紀前半
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 06:50 UTC 版)
18世紀初頭、軍艦の設計はすべて各造船所の技師に任されていた。設計が統一されていないため艦の性能が安定せず、なにより管理上の不都合が多かったのである。当時最大の海軍国であったイギリスにとって経費の削減は切実な問題であり、このため1706年に寸法規定を導入して戦列艦の大きさを50門から100門の6種類に統一しようと試みた。しかしこの制度は設計者の権限を大きく制限したため、イギリスの設計技術は重度の停滞期に陥ることとなった。この制度は何度か改定されながらオーストリア継承戦争後の1750年ごろまでイギリス海軍を縛ることになる。 一方大陸諸国では戦列艦の大型化が進む。これは艦体の大型化とともに砲の大口径化も意味していた。結果としてイギリスとフランス、スペインの同門数の艦はかなり大きさの差ができ、ジェンキンスの耳戦争で実際に交戦すると個艦の戦力の差は明らかとなった。イギリス海軍は寸法規定に何度か改定を加え、結局撤廃することになった。 寸法規定期の重要な出来事としては74門艦の出現がある。1740年ごろフランスで建造され始めた74門艦は火力、防御、帆走性能のバランスの取れたコストパフォーマンスの高い艦種だと考えられるようになった。74門艦はその後約80年もの間海戦の主役であった。 なお戦列艦の大型化傾向に伴い、寸法規定廃止後は50門艦を戦列艦だと見なさなくなった。
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