1704年以降の写本
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「千夜一夜物語」の記事における「1704年以降の写本」の解説
1704年にヨーロッパで初めて発行されたアントワーヌ・ガランのフランス語版「千一夜」以後に作られた写本の主なもの。これらの新しい写本は数が多く、ヨーロッパの影響を受けているものもあるとされる。 マカン写本 アレクサンドリアのイギリス総領事ヘンリー・ソルト(英語版) (1780年-1827年)が所持していたもので、彼の死後にターナー・マカン少佐(1792年-1836年)に渡り、最終的にはカルカッタ第二版の作成に使用された。しかし、現在、マカン写本の所在は確認されていない。 ゾータンベールのエジプト系写本(ZER) 1704年以後にエジプトで多数作成された写本群で互いに良く似た内容となっている。写本研究者エルマン・ゾータンベール(1836年–1894年)により分類されZER(Zotenberg Egyptian Recension)と呼ばれている。ブーラーク版の主な典拠となった。 ラインハルト写本 1831年から1832年に作成された写本で、ドイツのエジプト副領事ラインハルトがエジプトからもたらしたものである。この写本の結末では、シェヘラザードが意図的に冒頭の枠物語を語り始め、途中でシャフリヤール王が自分たちの話なのだと気づき、すべてを悟って前非を悔いるという構造になっている。
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