こくたい‐ほうしゃ〔‐ハウシヤ〕【黒体放射】
黒体放射
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/16 06:04 UTC 版)
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黒体放射(こくたいほうしゃ、英: black body radiation)とは、黒体が放出する熱放射である。熱した物質や恒星の発する光が、比較的温度が低いときは赤っぽく、温度が高いほど青白くなる理由は、黒体放射の温度特性によるものである。
概要
黒体放射の色は、プランクの放射式によって解析することができ、黒体の温度によって決まる。
理想的な黒体放射をもっとも再現するとされる空洞放射が温度のみに依存するという法則は、1859年にグスタフ・キルヒホフにより発見された。以来、空洞放射のスペクトルを説明する理論が研究され、最終的に1900年にマックス・プランクによりプランク分布が発見されたことで、その理論が完成された。
物理的に黒体放射をプランク分布で説明するためには、黒体が電磁波を放出する(電気双極子が振動する)ときの振動子の量子化を仮定する必要がある(プランクの法則)。つまり、振動子が持ちうるエネルギー (E) は振動数 (ν) の整数倍に比例しなければならない。
- E = nhν (n = 0, 1, 2, ...)
この比例定数 h = 6.626×10-34 [J・s] は、後にプランク定数とよばれ、物理学の基本定数となった。これは、物理量は連続な値をとり特定の最小値を持たない、とする古典力学と反する仮定であったが、1905年にアルベルト・アインシュタインがこのプランクの量子化の仮定と光子の概念とを用いて光電効果を説明したことにより、この量子化の仮定に基づいた量子力学が築かれることとなった。
参考文献
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- Rybicki, G. B.; Lightman, A. P. (1979), Radiative Processes in Astrophysics, New York: John Wiley & Sons, ISBN 0-471-82759-2
- Thornton; Stephen T.; Andrew Rex (2002). Modern Physics. USA: Thomson Learning. ISBN 0-03-006049-4
より詳しくは、
- Peter C. Milonni (1994). The Quantum Vacuum. Academic Press
関連項目
黒体放射
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 06:39 UTC 版)
黒体とは、外からのすべての電磁波を反射せずに吸収する物体のことである。この黒体に熱を加えたときに自らが放射する電磁波が黒体放射(黒体輻射)である。具体的な例として、外部を断熱にして内部を空洞にした容器に外から小さな穴をあけた場合、容器の内側は黒体とみなすことができ、穴から出てくる電磁波を観測することで黒体放射が観測できる。 黒体放射のエネルギーは、黒体の材質や形によらず、温度と振動数のみで決まる。このことは1860年にキルヒホフによって確かめられており、さらに言えば、それ以前から陶芸家は、窯の中から出てくる光の色すなわち波長(振動数の逆数)は中に入っている物体によらず、温度だけで決まることに気づいていた。物理学ではこの黒体放射のエネルギー分布関数 u ( ν , T ) {\displaystyle u(\nu ,T)} を温度 T {\displaystyle T} と振動数 ν {\displaystyle \nu } で数式として表す取り組みが進められ、プランクがこの問題に取りかかるころには、熱力学の理論であるシュテファン=ボルツマンの法則が発表され、さらにヴィーンの放射法則 u = b ν 3 e − a ν / T {\displaystyle u=b\nu ^{3}\mathrm {e} ^{-a\nu /T}} (1) がヴィルヘルム・ヴィーンにより発見されていた(a,bは定数)。 プランクは、小さな線形振動子について研究を進めた。そして1899年、この振動子が黒体放射と相互作用することを考えた。この際、振動数はエネルギーを吸収しまた放出する。この単位時間における吸収・放出のエネルギーを U {\displaystyle U} としたとき、 U {\displaystyle U} と u {\displaystyle u} には u = 8 π c 3 ν 2 U {\displaystyle u={\frac {8\pi }{c^{3}}}\,\nu ^{2}U} (2) の関係があることを導き出した(cは光速)。式(2)に式(1)を代入することにより、振動子の平均エネルギー U {\displaystyle U} は U = h ν e − a ν / T {\displaystyle U=h\nu \mathrm {e} ^{-a\nu /T}} (3) と求められる。なお、 h = b c 3 8 π {\displaystyle h={\frac {bc^{3}}{8\pi }}} であり、このhは後にプランク定数と呼ばれるようになる。プランクは1899年の論文でhの値を実験値を参考に h = 6.89×10−27 erg・secと求めた。 また、プランクはエントロピー S {\displaystyle S} とエネルギーについて基礎的な関係が成り立つと考えた。そして式(3)を、温度 T {\displaystyle T} の代わりにエントロピー S {\displaystyle S} を用いて S = U a ν ( log U h ν − 1 ) {\displaystyle S={\frac {U}{a\nu }}(\log {\frac {U}{h\nu }}-1)} (4) と書き換えた。そして、熱力学第二法則により、エントロピーが時間的に増大するためには R = ( d 2 S d U 2 ) − 1 < 0 {\displaystyle R=({\frac {d^{2}S}{dU^{2}}})^{-1}<0} (5) でなければならないことを発見した。 ここで登場する R {\displaystyle R} について、プランクははじめ、単純に U {\displaystyle U} に比例し R = − a ν U {\displaystyle R=-a\nu U} (6) と仮定すれば式(5)を満たすので、これが基礎的な関係式だと考えた。ところが1900年、元々の式(1)が長波長では成り立たなくなることが、ハインリヒ・ルーベンスとフェルディナント・クルルバウム(英語版)による実験で明らかになった。さらにフリードリッヒ・パッシェンは改良した実験で、やはり高温ではウィーンの式(1)から外れることを確かめ、プランクに報告した。 この実験を知ったプランクは、式(6)に U {\displaystyle U} の2次の項を加え、 R = − a ν U + 1 k U 2 {\displaystyle R=-a\nu U+{\frac {1}{k}}U^{2}} (7) とすればよいことを見出した。式(7)を積分することにより U = h ν e a ν / T − 1 {\displaystyle U={\frac {h\nu }{\mathrm {e} ^{a\nu /T}-1}}} (8) が得られ、さらに、 u ( ν , T ) = b ν 3 e a ν / T − 1 {\displaystyle u(\nu ,T)={\frac {b\nu ^{3}}{\mathrm {e} ^{a\nu /T}-1}}} (9) が得られる。式(9)を元の式(1)と比べると、式(9)は式(1)に「-1」の項が追加された形となっている。この式は1900年に発表された。発表の場に出席していたルーベンスは翌日プランクの元を訪れ、プランクの式は実験結果とすべて一致していたことを伝えた。 プランクはこの論文で引用していないが、黒体放射のエネルギーを表す式として、ヴィーンの放射法則の他にレイリー・ジーンズの法則があった。しかしこのレイリーらの式はウィーンの式とは逆に、長波長では成り立つものの短波長では実験値と合わなかった。プランクの発見は、黒体放射において、すべての波長で成り立つ初めての統一的な式を与えるものであった。プランクは後の1906年に執筆され1907年に出版された教科書において、プランクの式の長波長側の極限をとるとレイリー・ジーンズの法則と一致することを示している。
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